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福岡アジア美術館「一粒の希望―土地は誰のもの?!」:インドネシアン・アートの今


 友人を訪ね、福岡へ。国立博物館に行こうと思ったが、太宰府駅に降りた時点で、「待ち時間40分」との表示が、、、。博物館は諦めて、ネーミングが気になった「福岡アジア博物館」へ。外観は、 エントランスが黄色い柱の組み合わせてでできているため、近くまで来れば少し目立つが、ビルの一角を展示スペースにしただけの美術館のため、大変わかりにくい。特にこの近くに派手な「夜の街」があるため、ついついそちらの建物に目を奪われてしまう。笑

 訪れた日が、ちょうど文化の日(11月3日)であったため、なんと無料で二つの展示を見ることができた!

 一つは、「一粒の希望ー土地は誰のもの?!」

 もうひとつは、「フシギ?の世界ーここではないどこかへ」

 どちらの展示もとても素晴らしく、むしろ国立博物館が混んでて良かった、と思うくらいだった。

 展示「一粒の希望ー土地は誰のもの?!」は、16世紀に始まる西洋列強による植民地化や近年の大規模な土地開発に対する批判の込もった作品に焦点を当て、展示していた。

 特に、インドネシアの展示が面白かったので、ここに記しておく。

○「民衆文化連盟タリン・パティ」 

 現在、インドネシアでは、「タリン・パティ」という芸術集団が活躍中とのこと。「タリン・パティ」とは、「稲の芒(のぎ)」のことであり、彼らはこの名前に以下のようなメッセージを込めている。

 「芒のささくれに触るとひっかき傷ができたり、痒くなったりする」ように、「タリンパティ」のメッセージは心地いいものではないし、ときには苦痛だったり、我慢できないことだってある。でもこの国の癒えない傷に何度でも触れるのがタリン・パティ」なのです。

(福岡アジア美術館資料より)

 政治的メッセージを強く打ち出す若者芸術集団という点で、インドネシア版「チン・ポム」みたいな感じだろうか。

 タリン・パティの作品として、インドネシアの人々や自然を戯画化し、デフォルメした版画がたくさん展示されていました。版画の、筆で引くのとは全く異なるハッキリとした描線は、大変見るものにインパクトを与える。

○インドネシアの歴史

 せっかくなので、インドネシアの歴史をざっと記しておく。

 インドネシアは、17世紀に設立されたオランダ東インド会社に寄って、植民地化され、オランダの支配を300年以上受けた。当時、オランダ東インド会社は、アフリカに自生していたコーヒーの木を持ち込み、インドネシアを大規模農園化したため、今では世界のコーヒー豆の6パーセントがインドネシアで生産されている。

 この、原産ではないコーヒー豆が現在インドネシアの大きな産業のひとつになっているという点から、オランダによる支配の影を現在でも確認できる。(もちろん、作品にコーヒーの木やコーヒー農家が描かれているものは無数にあった。)

 20世紀初頭、東南アジアの民族運動が盛んになると、インドネシア共産党やスカルノのインドネシア国民党が作られる。その後、第二次世界大戦中、日本軍による進駐などもあったが、結果的にオランダ植民地政府との独立戦争に発展し、1949年に独立が承認された。

 しかし、独立後もインドネシアの困難は続く。民族的にも宗教的にも、イデオロギー的にも多様なインドネシアでは、各派の利害の調整が難しく、議会が機能しなかった。そんな中、指導者であったスカルノは、特に力をつけてきた国軍を牽制するため、共産党に接近するが、そのために国軍と共産党の対立は激化する。1965年に起きたクーデター「9・30事件」によって、スカルノは失脚し共産党は壊滅。西洋寄りの考えを持つスハルトが権力の座に就き、共産主義は非合法化される。

○映画『アクト・オブ・キリング』

 ここで少し映画の話をしよう。

 インドネシアと言えば、昨年本邦でも公開された『アクト・オブ・キリング』というショッキングな映画が思い出される。

 内容は、先ほど触れた「9・30事件」以後、凄惨な共産党狩りが行われた。スハルトが「9・30事件」の首謀者を共産党だと断定したためだった。当時共産党は合法であったため、国軍はイスラーム勢力やギャングなどの反共民間勢力に共産党員の殺害をさせた。その後、スハルトによる新体制が確立し、1973年、この一連の共産党員虐殺の容疑者達には法的制裁がなされないという決定が下された。そして、むしろ、彼らはインドネシアを共産主義の魔の手から救った「国民的英雄」として暮らしている。

 監督のジョシュア・オッペンハイマーは、彼らに虐殺を再現してもらい、それを映画作品にした。始め、虐殺を行った「国民的英雄」たちは、自信満々で虐殺の再現をしてみるが、次第に彼ら自身に植え付けられた心的外傷が露わになってくる。

○インドネシアにおける多様性

 どうして、インドネシアではここまで激しく「共産主義」が嫌われるのだろうか。現在、インドネシアでは、共産主義は非合法である。 

 ちなみに現在、社会主義国を名乗る国は世界で5カ国と言われている。というか、池上彰がTVでそう言っていた。中国、北朝鮮、ベトナム、ラオス、キューバである。(ベネズエラって社会主義国じゃなかったっけ?)これらの国々の共通点を探してみるのも面白そうである。特にキューバは一つだけ地理的にだいぶ離れているが、何故なのだろうか。

 閑話休題。インドネシアで「共産主義」が激しく叩かれる理由は、多分その多様性にあるのではないだろうか。もともと、オランダ東インド会社がインドネシアという国を作るまでは、そこに一つの大きな国などなく、多種多様な民族がそこで生活していた。

地図でインドネシアを確認してみてほしい。

 ウィキペディアによると、島の説明は以下の通りである。

 5,110kmと東西に非常に長く、また世界最多の島嶼を抱える国である。赤道にまたがる1万3,466もの大小の島により構成される[2]。人口は2億3000万人を超える世界第4位の規模であり、また世界最大のイスラム人口国としても知られる。(ウィキペディア「インドネシア」)

 こんな多様な人々が生活する広範な地域を一つの国にまとめてしまう方が、不合理であると僕は感じる。オランダの植民地化によって一つの国にまとまったように見えるが、やはり様々な点で人々の間に摩擦が生まれているのだろう。イデオロギーだけでも統一するために、「共産主義」は非合法化されたのではないだろうか。

 何かをスケープゴートにし、国民の統合を図る。実によく見る構図である。隣国を貶めて内政から目を背けさせようとする某国のような。

 「タリン・パティ」のようなアート集団の掲げるものが、「対植民地主義」や「対西洋主義」というものだけに収斂せず、「対不寛容」「対差別主義」といったものにも手を広げていって欲しいと思った展示だった。

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