中之条ビエンナーレ:感想
地元のアートイベントを見に行ってきました。
こういう、過疎地域の村おこし的イベントで、広域に渡っていくつもの作品を配置するのは、「大地の芸術祭」や瀬戸内のものが草分けだと思いますが、群馬でもやっているんです。思ったより参加者が多くて、ちょっと嬉しく感じました。中之条の観光課は敏腕ですね。芳ヶ平湿地群もラムサール条約湿地に登録されましたし。
こういったアートイベントに参加して感じることは、作品の善し悪しというよりもやはり、「この土地にこんなに素晴らしい自然があったのか」といった発見や「閑散としたシャッター街もよく見ればけっこうおしゃれだな」という驚きですね。
その土地の再発見という意味では、抜群に効果的なイベントでした。古いお寺は歴史を感じさせるし、周囲の山々は壮大だし。そういうものは、「現代アート」という「異物」が入りこむことで、やっと再発見できるのでしょうね。
上写真の作品は、飯沢康輔という人の『イノシシプロジェクト/丘を超え行こうよ』という作品です。彼はイベントで、この作品を「野生動物」と「人間」の境界について考えながら作った、ということを言っていました。
ぼくの実家にもよくイノシシが現れ父親がせっかく作った野菜を文字通り根こそぎ持っていきます。が、改めて考えてみると、これって面白いですね。野性のイノシシと、人間が種を超えて同じものを食べているんですよ。都会に住む人々からしたら、ちょっと想像できないことなのではないでしょうか。
以前、内田樹がマクドナルドは世界各地に広がったことにより、世界平和に(極めて限定的な意味においてだが)貢献している。というようなことを言っていた。もちろん、マクドナルドが米国のグローバル資本主義・拡大主義のフラッグシップであることは言うまでもありません。それはむしろ戦争の種にさえなりうるものです。
しかし、同じものを食べる=食文化を共有する、という行為は、異文化理解において最も有用なものの一つであります。そのため、内田はある意味で、マクドナルドのハンバーガーは世界平和に貢献している、と言ったのです。
同じものを食べる、というところから考えると、ぼくの両親のように田舎で手作りの野菜を食生活の中心に置いている人間は、都会の人間たちよりもイノシシたちの方が理解し合えるのではないでしょうか。笑
そういえば、イノシシはなかなか面白い動物で、縄文時代は「豊穣の神」として崇められていたとか、、、。弥生時代以降、本格的に米づくりが始まると、「害獣」として負のイメージがつきまとうようになったとのことです。今年、群馬県のとある博物館で、イノシシにまつわる展示をやっていました。
眼のつけどころがなかなかいいですな。
欧米人にとって、歴史的に人間に最も影響を与えてきたのはヒツジであるとよく言われますが、日本人にとってはそれがイノシシかもしれませんね。
この作品は、老若男女様々な人が見にきていました。美大生のような若者から、明らかに近所に住んでいる農家のおじいさんまで。そのような、普段は決して触れ合うことのない人々をつなげる力が、このような地域に根ざした芸術祭にはあるのだと思いました。
食文化同様、芸術体験も、他人と共有することでさまざまな垣根を取り払ってくれるものだとぼくは信じています。
作品を観おわって、人の良さそうな農家のおじいさんが、苦笑いしながら言いました。
「おれはゲイジュツはよくわがんねな。」
激しく同意です。(現代アートは難しい笑)
芸術を通して他人と心が通じ合うとは、まさにこういうことを言うのでしょうか。(←多分違う)