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ジョルジョ・デ・キリコ展@汐留:『不安な街』

  • 執筆者の写真: krmyhi
    krmyhi
  • 2014年12月26日
  • 読了時間: 3分

 どうも。久々の更新ですかね。

 個人のWEBページに、絵画の画像を上げるのはやはりNGなんでしょうかね。絵を言葉で説明するのが難しいために、せっかく美術展に行ってもサカマキ貝を更新するのが億劫になってしまいます。

 ま、修行だと思って、画像を載せるのではなく、言葉で説明していきたいと思います。

 キリコは、形而上絵画と呼ばれるジャンルを生み出した人物です。ぼくの印象だと、「素朴なダリ」という感じです。あるいは、くすんで、奥行きのないダリ、といったところでしょうか。上のフライヤーでも分かるように、ダリのようにシュルレアリスティックな、絵を描きます。まあダリが影響を受けた人なので当たり前なのですが。(フライヤー左の「ピカソが畏れた、ダリが憧れた」という謳い文句は、キリコの生きた時代や画風を一言で表わしていて、効果的ですね)

 キリコの特徴は、何と言っても観たものに「不安感」を与えるところでしょう。

 この「不安感」の理由は、2つあると思います。一つ目は、「デペイズマン」と呼ばれる表現技法にあります。デペイズマンは、「無関係な事物を異なる文脈の中に置くこと」で、脈絡のない事物たちはそれぞれ孤立しています。フライヤーで使用されている「古代的な純愛の詩」を見てみると、石膏でできた足、パイロンのようなもの、トランプ、魚のかたちをした影など、それぞれの関係性がわからない事物が配置されています。それぞれの事物が「孤独」の中に置かれることにより、鑑賞者に不安感を与えます。

 二つ目は、ゆがめられた空間です。再度、上のフライヤーを用いて解説すると、左側にある建物と右奥にあるアーチ上の入り口を無数に持つ建物は、明らかに異なる遠近法の軸を持っています。また、右側の黒い建物の影から考えると、左側の建物のように太陽光は当たらないことが分かると思います。この絵は、多数の視点から見た像を一つの絵に混ぜ合わせないと描けない構図となっています。つまり、キュビズムと同じ発想です。キリコの場合は、一つの対象を様々な角度から見るのではなく、風景を様々な角度から切り取り、まとめあげることで異様な雰囲気を表現しています。

(また、このように歪んだ空間は、佐々木マキの絵にも共通するものがあるように思えます。)

 キリコは、イタリアはトリノで、その才能を開花させました。主催者作成の動画によると、このトリノの街が、キリコに多大な影響を与えたとのことです。

 トリノはもともとサヴォイア家という富豪が作った、人工的で生活感のない街でした。住民たちは、昼は皆工場へ出て働くため、街からは人々が消えまるで能面のような表情になります。

 このように、栄えていると思われている街でも、一歩踏み込んで観察してみると、孤独に満ち溢れた街であったりする。そんな孤独な詩情を、キリコは絵画作品へと昇華させたのでした。ちなみに、キリコは作品には、二つの孤独が大切だと語っています。

 一つ目は、「瞑想的な静けさが生み出す孤独」

もう一つは、「モチーフそのものの奥にある孤独」

 孤独は不安を生みます。SNS依存症の人が増える理由も理解できますが、孤独を恐れすぎることはないように思います。キリコのように、孤独と上手く戯れることができればなぁ、などと思った展示会でした。

 余談となりますが、今回一番心に残った作品は、絵画作品ではありませんでした。 それは、展示方法と作品がうまくかみ合った彫刻作品でした。

 土台の上にキリコ作のオブジェが乗っているだけの作品かと思いきや、その影がぐにゃりと歪められたり、突然今までとは違う方向に影が伸びたりするのです。多分、上からプロジェクターで影を写していたのでしょう。このような作品は見たことがなかったですが、人間の不安感を煽るようなキリコの世界観を見事に表現している展示方法だと感じました。やりますね汐留ミュージアム。

 
 
 

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