富田克也『サウダーヂ』:行き詰まった地方都市から
- krmyhi
- 2014年10月27日
- 読了時間: 2分
このサウダーヂは、たしか渋谷の小さな映画館で観たのですが、衝撃を受けました。時代のメルクマール(目印)となる作品だと思います。もっと評価されるべき作品です。
舞台は山梨県甲府。主人公らしき人物は二人います。一人は、上のフライヤーでも大写しとなっている土木作業員の若者。もう一人は実際に甲府でラッパーを続ける田我流扮するヒップホップグループの青年。
土木工事の仕事においても、ヒップホップのクラブにおいても、海外からの移民が大きなシェアを占めるようになり、地方都市におけるグローバリズムが描かれます。ラッパーの青年は、海外からの労働者に反発を覚え、右翼的思想に染まっていきますが、一方で土木作業員の男は、パブで出会った女性に恋をし、彼女の出身地のタイに郷愁を感じたりしています。
自分たちの居場所が徐々に侵されていくため、外国人を排除しようとするラッパーの青年も、逆に外国を夢見るようになった土木作業員の男も、その考え方の根っこは同じところにあると思います。それは、彼らの住む地方都市の「行き詰まり」です。そこでラップをしていても、土木作業をしていても、明るい未来は来ないだろうという絶望に似た閉塞感。その閉塞感は、彼らをさらに行き詰まった世界へと誘います。
この映画が公開された2011年、政権は民主党が握っていました。民主党は、「コンクリートから人へ」のマニュフェストで、10年度の公共事業の予算を2割削減しました。そのような政治情勢がこの映画の背景にあります。
時は流れて、自民党政権へ。現在、公共事業がどんどん復活し、福祉事業に充てるという名目の増税分の収入も、どんどん公共事業に流れています。八ッ場ダムの着工も始まりました。果たして、自民党が復活させた公共事業は、地方の活性化に繋がるのでしょうか。
そして、いつまでぼくたちは、「公共事業」という環境を資源とする「甘い果実」にすがって生きていかなければならないのでしょうか。
地方都市ならではの、物語・文学がこれからより必要とされる世の中になると思います。2011年に作られたこの作品は、そのようなものの先駆けとなる作品であることは間違いありません。
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