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ただようまなびや岩手分校:①「学校」という場で、まなぶこと

  • 執筆者の写真: krmyhi
    krmyhi
  • 2014年10月25日
  • 読了時間: 5分

 作家の古川日出男さんが主催するワークショップ「ただようまなびや岩手分校http://www.tadayoumanabiya.com/index.html」に行ってきました。会場は「オガール紫波」(「しわ」って読みます)という場所で、ここはちょっと興味深いところでした。詳しくは、ウェブで!→http://ogal.jp/about

 さて、一日目の「特別鼎談 大友良英・柴田元幸・古川日出男」でぼくが思ったことを書いておきます。

 と、その前に、一応このお三方の紹介をば。

 大友さんは音楽家で朝ドラ「あまちゃん」のオープニング曲を作った人です。福島出身の方で、震災以降、地元で盆踊りプロジェクトなどを行なっています。

 柴田さんは、かなり有名な翻訳家です。村上春樹が翻訳作品を出すときは、柴田さんにチェックをお願いすることが多々あります。

 古川さんは、作家なのですが、かなり前衛的な作品を書きます。ぼくは『LOVE』という作品くらいしか読んだことが無いのですが、正直、よくわからなかったです。しかし、本人曰く、「よくわからない」と言われるのは嬉しい、ということなので、いいのでしょう(笑。 彼の作品は、文章にリズムがあります。

 ざっくりとですが、紹介を終わります。

 それぞれ異なる世界で表現するお三方ですが、彼らの話を聞いているうちに、なぜ古川さんが、このようなプロジェクトの形態を採用したのかが、すこし分かったような気がしました。なぜ「まなびや」=学校 という形でないといけなかったのか。なぜ「ワークショップ〇〇」や「〇〇プロジェクト」ではいけなかったのか。

 鼎談の中で話が上がったのは、文学や音楽における「多様性」です。

 例えば、同じ楽譜を使ったとしても、演奏者によってその作品は全く違うものとなります。

 同じように、同じテクストを使ったとしても、翻訳者によってその作品は異なるものとなります。

 物語作家でも同じです。作家を10人集めて、「水の入ったペットボトルについて、400字で何か書きなさい」という課題を出したら、十人十色、全く異なる文章ができてくるでしょう。

 そして、文学や音楽における「多様性」は、表現者のみによって担保されているわけではありません。その多様性は、聴者・読者レベルでも存在します。

 同じ音楽作品を聞いても、聞き手によって喚起される感情は違います。それは四分音符ひとつとっても違うでしょう。

 同様に、同じ文学作品を読んでも、読み手によって感じ方は多様です。一つ一つの言葉の意味自体、その人によって異なります。

(そのように、言葉が受け手にとって意味が異なることを、古川さんは「誤解の増幅装置」と呼びました。)

 さて、ここで少し話が飛びます。先日、新聞で二つの教育についての記事を見つけました。一つは道徳の科目化。もう一つは、大学等の経営について、教授会が有していた決定権を、学長や経営者に移すことを政府が検討している、というものです。

 学校関係者として、これらの記事はちょっと引っ掛かりました。

 これらは一見、別々の話に見えますが、政府が目指していることは一緒です。それは「画一化」という言葉で表せると思います。

 道徳を科目とすることによって(評価はしないということですが)児童や生徒に画一化された倫理観や道徳を押し付けることにならないでしょうか。国語や美術や道徳という授業は、「多様性」を最も重んじるべきものだとぼくは思います。

 学校の経営でも同じです。教授会というものは、その名のとおり、その学校の教授達の会合です。今までは、教育者である彼らが、学校の経営方針についてもかなり口を出していました。しかし、それではダメだということで、(何がダメなのかは、ぼくはよくわかりません)、文科省上がりの学長やプロの経営者に、学校の経営を任せろというのです。

 なぜ、そのことが教育の画一化に繋がるかと言うと、経済性を求めるには、やり方が限られてくるからです。「経営者達」がやることは一緒です。できるだけ多くの若者を自分の大学に入学させるために、経済性優先の学校経営を行ないます。サテライト制を導入したり、大学をディグリー・ミル(学位工場)化させたり。実際に学生と顔を突き合わせている先生達が、現場のことは分かっているのは自明です。それなのに、学生を「数」としてしか見ない経営者に学校運営を任せることの危険性を、政府は理解していない。

 学校教育はどんどん画一化されていっているように感じます。いや、正しくは、今は多様性があると思います。各地で素晴らしい教育者達が独自の教育法を試しています。しかし、今の政府の方針に乗っかってしまえば、今後このような多様性はやせ細っていくことでしょう。

 そして、そんな空気を感じ取った表現者達が、この「ただようまなびや」というプロジェクトを立ち上げたのではないでしょうか。既存の学校に信用を置けなくなった人たちが、今までとは違う、新しい学校を作ろう、ということで。

 (実際に、最近「私塾」を始めた有名人は、枚挙に暇がありません。内田樹、茂木健一郎、名越康文、、、)

 3・11が起きた時に、政治や行政はあまりにも無力でした。むしろ足の引っ張り合いをしているのではないかと感じてしまうほどでした。古川さんが、3・11後にこのようなプロジェクトを立ち上げたのも、あの震災の時に一番力を発揮したのは、音楽や言葉だったと感じたからではないでしょうか。

 音楽と言葉、「多様性」の力。(オリンパス風)

 学校が多様性を否定するなら、新しい学校をつくって、そこで人々に文学や音楽を通して多様性を学んでもらおう、というのが、古川さんのねらいなのではないかとおもいました。

 こんな風にきれいにまとめてしまっては、「ただようまなびや」の本意するところと違ってしまいますけどね(笑

 長文失礼しました〜

 
 
 

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