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スティーブン・フォスター『Oh! Susanna』:翻訳

 お久しぶりです。しばらく更新をサボってしまいました。頑張って週一で更新したい!

 さて、今度作家の古川日出男さんが主催する「ただようまなびや」→http://www.tadayoumanabiya.comというワークショップに行ってきます。そこで、ぼくが尊敬する柴田元幸という翻訳家に直に翻訳を指導してもらえるのです!ワウ!

 柴田さんのワークショッップは「歌を訳す」というもので、事前に課題が出されました。課題は以下のとおり。

 これを期に、洋楽の翻訳を趣味にしたいなあなどと考えております。

ただようまなびや 10/26「歌を訳す」(柴田)課題

課題曲は、スティーヴン・フォスター作曲の「おお!スザンナ」です。 この 1 番と 2 番を「訳す」、それも「歌えるように訳す」のが課題です。 この歌を選んだ理由は、メロディは誰でも知っているのに、訳詩で歌える人はほとんどいないと思うからです。 では、原詩はどうなっているか。なんと、まるっきりメチャクチャ、要するにナンセンス・ソングです。 なので、忠実さを追求した訳でももちろん結構ですし、まったく自由に、スザンナもアラバマも出てこないような

「超訳」になっても構いません。とにかく「歌えるように訳す」ことを心がけてください。

Oh! Susanna (1848 年版)

1. I come from Alabama wid my Banjo on my knee

I’se gwine to Lou’siana my true lub for to see. It rain’d all night de day I left, de wedder it was dry

The sun so hot I froze to def—Susanna, don’t you cry.

Oh! Susanna, do not cry for me; I come from Alabama, wid my Banjo on my knee.

wid: with I’se gwine: I’m going my true lub for to see: to see my true love de day: the day de wedder it was dry: the weather was dry def: death

2. I had a dream de udder night, when ebry ting was still; I thought I saw Susanna dear, a coming down de hill. De buckweat cake was in her mouf, de tear was in her eye,

I says, I’se coming from de souf—Susanna, don’t you cry.

Oh! Susanna, do not cry for me; I come from Alabama, wid my Banjo on my knee.

de udder night: the other night ebry ting: everything a coming down de hill: coming down the hill De: The mouf / souf: mouth / south

 偶然にも、この歌は本当にぼくのお気に入りの曲で、小学校?の音楽の授業で教わった以来、ことあるごとに口ずさんできました。教わったのは日本語の歌詞のものだったので、頭に刷り込まれてるその訳詞が翻訳の邪魔になるかな、と思っていたのですが、案外すんなり訳せちゃいました。何度も何度もメロディを口ずさんできたからですかね。

 以下、訳詞・ぼく版(案)です。

『おぉ!スザンナ』

アラバマからの旅、バンジョーが相棒さ

そこにはホントの愛があるんだろう?

ざあざあ土砂降りも、カラカラ日照りも

カンカン照りも寒さも、まぁそんな問題ない

おお、スザンナ泣かないでくれ

遥かなルイジアナへ、バンジョーが相棒さ

君の夢を見るよ、いつの夜も

あの丘も、スザンナ、あの日のままかい?

パンケーキの香り、涙の色

君のすべてがぼくを走らせる

おお、スザンナ泣かないでくれ

遥かなルイジアナへバンジョーが相棒さ

 いま悩んでいるところは、「カラカラ日照りも」と「カンカン照りも」が重なっちゃっている点がちょっと気に入らないので、良い表現はないものか。。。

全体的には結構よく訳せているのではないかと思うのですが、どうでしょうかね。

 柴田さんは村上春樹との共著『翻訳夜話』などでも語っているのですが、テキストに忠実に訳すことを哲学にしている人です。訳者はできるだけ存在感を消して、オリジナルをできるだけ立てるべきだ、という考え方です。

 ぼくはこのような考え方が好きです。北野武の俳優論みたいな。彼は俳優が監督の演出に口を出すことを大変嫌がるそうです。だから役者として映画に出演する時も、あくまで監督の指示に忠実に従うらしいですね。なんだか、たけしらしくない話ですが。

 柴田さんもたけしも、言っていることは同じで、「表現者なんてしゃらくさいこと言ってないで、職人たれ!」ってことだと思います。

 村上春樹も同じ考えのようで、翻訳夜話ではこう言っています。

文体ということで言うと、これはすごく漠然とした表現になるんですけど、いわゆる「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」というやつで、翻訳をする場合、とにかく自分というものを捨てて訳すわけですよ。ところが、自分というのはどうしたって捨てられないんです。だから徹底的に捨てようと思って、それでなおかつ残っているぐらいが、文体としてはちょうどいい感じになるんだね。(村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話』p35)

 ぼくは今回、できるだけ意訳をせずに、原詩に忠実に訳すようにしました。あとは何と言っても歌えるように訳すことね。これは課題の第一条件でしたが、条件になっていなくても、ぼくは歌えるように訳すつもりでした。だって歌詞を訳したのだったらやっぱり音楽に乗せたいじゃないですか。

 ちょっと気がかりなのは、ぼくの訳詞はちょっと上品すぎる感じになってしまった点です。ぼくのイメージする主人公はハックルベリーフィンのような粗野な感じなので(例えがわかりづらい笑)、「君」じゃなく「おまえ」のほうがいいかな、「ぼく」じゃなく「おれ」のほうがいいかな、ってことを考えたのですが、そうするとちょっと全体のバランスが崩れちゃうので悩み中です。

 さびの「泣かないでくれ」っていう表現はお気に入りなのでできれば残したい。ただ歌詞をもっと泥臭くするにはこれが邪魔になります。

 締め切りまではもうすこしあるのでじっくり考えましょう。

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