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「開館40周年記念展第二部 - 1974年 戦後日本美術の転換点 - 」:①「見ること」の再定義

  • 執筆者の写真: krmyhi
    krmyhi
  • 2014年9月16日
  • 読了時間: 3分

 群馬県立美術館で面白そうな展示をしていたので、行ってきました。どうやらぼくは60・70年代の日本の芸術が好きなようです。

 60・70年代は、東京を中心に日本の戦後文化が花開いた時代だと思います。現代で趨勢を誇るサブカルチャー(漫画、電子音楽、ロック、アイドル等)もこの時代に原型が作られています。

 この時代のアーティストは、既成概念への挑戦を果敢に試みていたことが特徴だと思います。60年代は、「反芸術」、概念芸術、ミニマル・アート、「もの派」などが登場してきました。

 また、これらの芸術運動が盛んだったことと、学生の政治運動が盛んだったことは無関係ではないと思います。この時代、政治に深くコミットする若者と、そうでない若者(いわゆる「ノンポリ」)がかなり意識的に区別されていました。それに由来する「反知性主義」が、60・70年代の華やかな若者文化の開花、芸術運動の原動力だと思うのですが、それについてはまた違う機会に書こうと思います。

 この展示会はかなり内容が濃いものでした。それぞれのアーティストが、どのような試みを行なったのか、その時代にどんな問題を提起したのかが解説されていたので、とても勉強になりました。ここで一つ一つ挙げていると切りがないので、「『見ること』の再定義」というテーマを設定して、気になった作家及び作品を紹介します。

①上田薫(スーパーリアリズム)

 一番上の写真は、上田薫によるパステル画です。写真じゃないんです。このような写真並みかそれ以上にリアルな絵を描く技法をスーパーリアリズムと言います。書き方としては、一度写真に撮ったものをよく見て描いていくそうです。

 上田薫はこの技法を使う日本で最も有名な作家です。彼はゼリー状のものや液体など、透明でやわらかいものを描くことを得意としました。

 きちんと至近距離で見ると、アクリル絵の具で描いているのが分かります。でも、近づかないと写真かと思ってしまうほどリアルです。スゴい。

②若江漢字「見る事と視える事ー鉛筆ー74−Ⅲ」

01.jpg

 この作品は、似たような写真を縦に3枚並べ、それをさらに一枚の写真に収めた作品です。

 左側の鉛筆は紙の下にあり、右側の鉛筆は紙の上にある写真を並べた写真のように見えます。しかし、顔を近づけて良く見ると、写真じゃない部分があるんです。

 左側上段と下段の白い紙は、本物の紙が貼付けられています。

 一方、右側の白い紙は、上段のものが実際に紙の上に鉛筆を置いて写真に収めたもの。中段のものは、白い紙に鉛筆を印刷して、上から貼付けたもの。下段のものは、白い紙に鉛筆を印刷し、その紙を鉛筆の上に置いて写真に収めたものです。

 同じように見える図像も、よく見ると全く異なるものだということに気付かせてくれる作品です。

 どちらの作品も、「見ること」の不確か性に気付かせてくれる作品です。単に網膜に写ったものを受け入れるだけでは、本質が見えない。これらの作品では、我々が芸術作品を享受する時に何気なく行なう「見ること」に疑問を投げかけることで、芸術そのものへの挑戦になっています。

p.s.

③野村仁「視覚のブラウン運動」

ブラウン運動とは、以下のような現象のことらしいです。

液体のような溶媒中(媒質としては気体、固体もあり得る)に浮遊する微粒子(例:コロイド)が、不規則(ランダム)に運動する現象である。(wikipedia)

 この作品では、1秒間に24コマという超高速の動画を繰返し流し続けているという作品です。

 
 
 

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