旅行記「豊島・直島」⑤:おじいさんの話と「つくること」・「こわすこと」
- krmyhi
- 2014年9月9日
- 読了時間: 5分
直島の本村港というところをふらふらしていると、80代くらいのおじちゃんに話しかけられました。直島についていろいろ教えてもらったので、備忘のために書いておこうかと思います。
①直島の工業について
もともと直島の住民の多くは造船業を生業としていました。現在も島の多くの土地が三菱マテリアルの地所となっています。金属鋼業関係の工場がたくさんあるので、昔は「アートの島」ではなく、「金と銅の島」と呼ばれていたらしいです。
だから、直島のお財布状況は、観光がなくても十分潤っていたということを伺いました。
②直島の戦争体験
おじいさんに戦争体験についても伺いました。瀬戸内海は島が多かったため、軍艦を隠すのにはうってつけだったそうです。直島のすぐ近くの島にも一隻隠してあったそうです。(その島を指差しながら説明してくれました。)
また、直島は造船業で有名だったため、もう少し戦争が続いていたら、必ず空襲を受けていたとも語っていました。もし空襲に遭っていたら、古民家を利用した「家プロジェクト」もなかったわけです。幸運でした。
「家プロジェクト」が行なわれている本村港付近の神社には、陸軍関係者の墓石がいくつか並んでいるのに気がついたぼくは、それについても尋ねてみました。こんな小さな島からも、たくさんの男性が招集されたとのことでした。
近くに防空壕もありましたが、おじいさんは馬鹿らしいと思っていたので、使う気など無かったそうです。竹槍訓練も受けたと言っていました。
島の上をB29が飛んだり、特高警察が来たりしたと言っていました。やはり、造船をしている島というのは、軍艦をつくっていたということなので、重要視されていたことが分かります。
③現在の直島について
おじいさんの話は、自分の近所の○○さんが高松に移っていってしまったとか、自分の息子の話だとかがメインでした。でも、そういうとてもパーソナルな話から現在の直島の状況を窺い知ることができてとても楽しかったです。
直島は現在「若者に人気の島」のようなイメージとなっていますが、実際は島で生まれ育った子供は、高松や岡山に出て行ってしまうことが多いようです。そして、そこで所帯を持ちます。両親が介護が必要になると、両親を島の外に連れ出し一緒に暮らすようになるため、空家が増えていっているようです。
島の外から来た、島で生活したい若者がそういった空家を利用してカフェやアートスペースを始めるため、かなり「循環型社会」となっているようです。これは面白い現象ですね。
直島はこの10年ほどで大分変化があったようです。そこには2種類の変化があります。まずは直島が「アートの島」として観光地化されたこと。全国からだけでなく、世界中から老若男女が訪れる島となりました。
もう一つは住民の入れ替わりです。先ほど説明したとおり、島を出入りしているのは観光客だけではありません。他の過疎地域では若者は出て行くばかりで、ヨソ者・若者がそこに加わることはあまりありませんが、直島は違います。直島のライフスタイルに憧れて、たくさんのヨソ者・若者が住民として入ってきています。
2種類の「ヒトの出入り」があり、古参の住民はかなりストレスフルな状況なんじゃないかな、とちょっと心配になりました。
話をしてくれたおじいさんを見ていると、観光客と話すのを楽しんでいたようでしたが。。
さて、後半の話題は「つくること」と「こわすこと」です。
直島はアートの力によって、ヒトの新陳代謝が活発になり、「循環型社会」となりました。しかし、全国の多くの過疎地は、少子高齢化に喘いでいます。やっぱり、全ての地域が直島ほどの集客力を持つことなどあり得ないので、アピールポイントのない地域について対策を考えていかなければなりません。
もともと、人口の増大とともに日本各地に集落ができました。だけど、日本の人口が減ってきたからと言って、今度は「村を畳んで他のところに住みましょう」ってわけにはいかない。それができれば大変簡単に片付きますが、そこには生身の人間が住んでいるし、そこにしかない文化があります。容易にそんなことは言えません。
本来は、(自然との共生ということで考えれば)人口の増大に合わせて、森を開拓してそこに住まい、逆に減少してきたら家を畳んで植林してから都市部に移住できるような、そんな「遊牧社会」が望ましいのです。
しかし、一方でそんな土地に根ざさない社会のあり方は日本人には向いていないことも分かっています。(もちろん、そのように私が感じるのも、欧米型の「農耕社会」イデオロギーが染み付いているからかもしれませんが。)
たとえば、福島のように、「今日からこの土地で暮らしてはいけません。」と言われて、誰一人悲しむ人がいなかったらちょっと不気味ですよね。
ぼくは今まで「つくること」よりも「こわすこと」の方が簡単だと思っていましたが、どうやらそれは本当じゃないらしいです。
これからの土木分野、環境都市工学の分野では、「つくること」よりも「こわすこと」に重点が置かれるようになるんじゃないでしょうか。
建物を、必要な分だけ作って、不要になったら壊す。そんな社会になっていくと思います。
ただ、本当に難しいのは、モノをこわすことよりも、その地域のコミュニティをこわすことです。あるいは、人間の持つ土地に執着する心をほぐすことです。
このまま人口が減っていけば、「閉村」しなくてはならない地域も必ず出てきます。そういう場合に、どのような倫理を持てば良いのかを考えていかなければならないと思いました。
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