東京バレエ団「祝祭ガラ」:日本的身体運用
- krmyhi
- 2014年9月8日
- 読了時間: 5分
100年に1人の逸材と言われるバレエの女王シルヴィ・ギエムが先日引退発表をしました。これは見に行ないと後悔するぞと思い、新幹線に飛び乗り富山まで。
バレエは初観劇でしたが、とても面白かったです。評判どおり、ギエムの身体は本当に人間離れしていましたが、ぼくとしては東京バレエ団の若者達(特に男性)の「スプリング・アンド・フォール」(写真右下)がとても楽しかったです。バレエが「総合芸術」と呼ばれる所以を身を以て理解させられました。
劇ほど分かりやすいシナリオはありませんが、観客各人が自分の中で紡いでいける物語性を持っています。そして、迫力ある生のオーケストラ演奏。墨絵を想起させるような背景の絵。瞬間瞬間を逃さずにピンポイントで当たる照明。テーマに合わせ作られ、観客の想像力を掻き立てる衣装。
一つの舞台ができるまでに、本当に色んなジャンルのアーティスト達が関わっているのだなぁと感心させられてしまいました。
さて、本題に入りましょう。今年は日本人のバレエダンサーが世界で活躍した年です。男性も女性も、同じく活躍していて、金賞銀賞どちらとも日本人が受賞した大会もありました。
ぼくがそれらの記事を見て興味を持ったことは、彼らはバレエの世界で日本的身体運用を世界に通じるほどのレベルにまで引き上げたのか、それとも日本的身体運用というものは捨て、身体を西洋化したのに過ぎないのか、どちらであるかということです。
分かりづらいと思うので、例を挙げます。例えば、メジャーリーグにおける、イチロー選手は、まさしくメジャーリーグで日本的な身体運用の体現者だと思います。筋肉をつけて体を大きくするのではなく、もともと持っている俊敏性や柔軟性、繊細なバットコントロールを活かしたプレーで活躍しています。彼はメジャーで戦うために、筋肉を増強させるようなトレーニングの仕方ではなく、古武術をプレーに取り入れるという方法で彼なりの身体運用法を身に着けました。
ほかの渡米した選手を見ていると、体を大きくすることにこだわっている人が多い気がします。自分の本来の肉体を捨てて、欧米型の体系に近づこうとしています。そしてそのせいで怪我をする選手がとても多いように思います。やっぱり、小さな日本人が、メジャー選手並みの筋肉をつけるというのは無理がある気がします。ぼくとしては、たとえすぐには通用しなくても、肉体改造に頼らない、日本人の身体能力に合わせたプレーで活躍して欲しいと思ってしまいます。
日本には、60・70年代に世界に多大な影響をあたえた舞踏家(ぶとうか)土方巽(ひじかたたつみ)という男がいます。
彼は、まさにそれまで西洋の特権のようなものであったダンスを、日本的身体運用によって書き換え、世界の自らが最先端を走っていると思っていた西洋のダンサー達にその前衛性を見せつけました。具体的には、彼の暗黒舞踏と呼ばれる踊りには日本の土着的な思想・宗教性と蟹股・短足といった日本人の身体的特徴によって成り立っているダンスです。またそれは、音楽(リズム)に合わせないという点でも、他のダンスとは一線を画しています。
身体運用の違いは、そのまま思想の違いにダイレクトに繋がります。デリダなどの思想家が土方巽を扱ったのも、彼の身体運用理論が日本人の思想をよく表していたからだと考えられます。
スポーツにおいても、自分の身体能力に合わせて戦術(思想)を変えますよね。
例えばメジャー野球と日本の野球(特に甲子園野球)は全く違うものになります。甲子園の野球はメジャーほどバカスカホームランは出ないし、バントや盗塁を使って確実に1点を取りにいくような戦術がデフォルトです。このような違いは、やはり欧米人と日本人の身体的な差が起因していると考えられます。
そのような日本の野球をメジャー野球に比べて「ちまちましている」や「迫力がない」などと揶揄する人もいますが、ぼくは日本の野球はそれで良いと思います。欧米人とはことなる身体を持つ日本人が、欧米人と全く同じ野球をするのは不自然だし、違いがなかったら面白くないと思います。
つまり「野球」とは、欧米人の作った「ベースボール」の日本的解釈な訳です。もちろん、ルールは彼らが作ったものであるので、そのルールの中で彼らに勝つことは容易ではありませんが…。
スポーツ選手が往々にして、人権問題やレイシズムに敏感なのも、常に自分の身体能力と他者の身体能力の違いについて意識しているからだと思います。彼らは他人の能力を羨んでなどいられないし、逆に他人の能力を見下している余裕もない。自らの身体能力に欠点などがあったとしても、それは自分のアイデンティティだと認めるしかない。他人との違いを素直に認めて、その上で自分の長所を活かすことを考えないと、勝負の世界でやっていけないからです。
欧米人が作ったルールの中で、日本人はどうやれば生き残っていけるのか。それはスポーツだけに限ったものではありません。経済でも、政治でも、学問でも、芸術でも、それは共通して考えられていることです。ほとんどの領域で、「ルール」や「スタンダード」を作ったのは彼らだからです。
ぼくはあまりスポーツ観戦はしませんが、世界の中で日本人選手がいかに日本的身体運用を用いてプレイしているかという点にはかなり興味があります。(日本のサッカーがかなりそうなりつつありますよね。戦術がどんどん日本人の身体に合ったものになっています。)
長文をお読みいただきありがとうございます。一度消えたのをリライトしたので、ちょっと文章が劣化した気がする。。。
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