top of page

旅行記「直島・豊島」④:『地中美術館』紹介と少しばかりのタレル、マリア解釈

  • 執筆者の写真: krmyhi
    krmyhi
  • 2014年9月2日
  • 読了時間: 5分

 先日も紹介した安藤忠雄が建築した美術館です。安藤氏は新国立競技場の件で新聞等では、「景観に合わないデザインを採択した」と批判されていましたが、この地中美術館は周囲との協調が売り。地中美術館のガイドブックにも、「風景を損なうことのないよう、あえて外観のない建築を設計しました」とあります。安藤忠雄はホントは周囲の景色との調和を重んじる建築家なのですね。建築家なら当たり前か、笑。

 この美術館には3名のアーティストの作品が展示されています。モネとウォルター・デ・マリアとジェームズ・タレルです。モネの「睡蓮」を現代の視点から解釈するために、他の二人が選ばれたということなので、モネ「睡蓮」のための

美術館と言っても良いかもしれません。

①モネ『睡蓮』の静謐

 モネの「睡蓮」の連作5点が一つの部屋に納まっているのですが、この部屋がとてもすごい。とにかく「静謐さ」にこだわった部屋なのです。まず、靴音がならないように、入り口でスリッパに履き替えさせられます。(このスリッパの裏がスウェード地になっていて、とても歩き心地が滑らかです)中に入ると、すぐに作品があるわけでなく、何もない空間がとってあり、その奥に「睡蓮」が展示された部屋になています。多分通路を歩く人々の音を展示室に持ち込ませないための空間なのでしょう。そして、一番凝っているのが床です。1センチ立方のサイコロ状の大理石がわずかに隙間を開けて敷き詰められています。その「タイル」によって音が吸収され、スリッパのパタパタ音も殆ど聞こえません。異常な吸音性です。また、床も壁も天井も白一色で視覚的なうるささがありません。

②タレルの「光」と

 タレルは、光を使った不思議な作品をつくるアーティストです。一番驚きが多かったアーティストなので、ここでは敢えて作品の説明はしません。自分の視覚情報というものを改めて考えさせるような作品でした。

 多分、視覚的な快楽を嫌ったデュシャンと似たような芸術観なのでしょう。デュシャンは、「泉」という作品で有名なアーティストです。(下図参照)

Duchamps.jpg

 デュシャンは、クールベ以降絵画は「網膜的になった」と批判しており、「観念としての芸術」という考えを述べている芸術家です。

 彼はこの「泉」に、視覚的快楽主義への批判を託しましたのだと思います。。

 タレルが、光にこだわり視覚にこだわるということも、似たようなことを意図しているからだと思います。普段我々が視覚情報として捉えている「光」を疑い、再解釈することで、視覚に頼りがちな現代の人々に新しい芸術の見方を提起しているのです。

 また、以前紹介した「町プロジェクト」の中の「南寺」も彼の作品であり、これも視覚を疑うという点で、タレルらしさが出ている作品であり、とても面白いです。

 ③マリア『タイム/タイムレス/ノー・タイム』解釈

 最後はウォルター・デ・マリアの作品です。

部屋は階段になっており、その中間の踊り場に黒い大理石でできた球体が置かれています。ガンツにでてくるような黒く大きな球体です。部屋の四辺には、金色の1メートル大の3本の柱が、間隔を開けて展示されています。

  複数の作品が一つの空間を構成し、その空間自体をまたひとつの作品とする「インスタレーション」と呼ばれる手法をとっています。マリアは、現在ではとてもポピュラーな、この「インスタレーション」と呼ばれるような展示方法を70年代に開発したアーティストの一人です。すごい。

 観覧者は入り口である注意を受けます。「室内の金色の作品は、大変繊細なつくりになっていますので、お荷物やお手が触れないようお気をつけ下さい。」

 美術館内で作品に触れないようにするのは常識です。それを敢えて言うのは何故なのか。ぼくは敢えてそんなことを注意されたことがどうにも心に引っ掛かりました。そして、しばらく考え込み、係員に聞きました。

ぼく「中央の黒い球体には触れていいってことではないですよね?」

係員「そういうことです。どうぞ直接触ってみてください」ニコッ

ぼく「!!」

 文字にしてしまうと分かりやすいかもしれませんが、実際に口頭で説明されると気付かないものなんです。展示室内でぼく以外でそれに触っている人はいませんでしたから。

 この作品のテーマは「神」だと思いました。

「触っちゃダメ」と言われていないのに、自己規制を行なってそれに触れることを忌避する。まさに「禁忌」の構造をよく表しています。禁忌の本質とは、それが法的に、あるいは明文化されて禁止されているわけではないのに、人々の雰囲気がそれに触れることを禁止させるところにあります。あるいは、法的に禁止されている以上にそれに触れることを忌避するような気分が人々の間に醸成されることです。

 イスラム教が良い例です。クルアーン(イスラム教の経典)で禁止されていることの拡大解釈により、(もちろん彼らは拡大解釈とは考えませんが)偶像崇拝を禁止したり、女性の顔をベールで覆ったりしているわけです。たしか、クルアーンでは直接それを明示して禁止しているわけではない、と習った気がします。

 黒い球体が「神」であり、それに触ったり、上から眺めたりすることで「神」を相対化する。ひいては「禁忌」を相対化することがこの作品の目的なのだと思いました。なんとなくこの黒い球体がメッカのカーバ神殿を彷彿させることも論拠の一つです。

 それがモネ解釈にどう関係するのかはわかりませんが。笑。「睡蓮」は自然を賛美した作品でもあるので、「自然」=「神」というつながりかしら。わかりません。

 おぉ、意外と長い記事になってしまった。長文失礼しました。

 
 
 

Comments


Article List
Tag Cloud

深夜のサカマキ貝

He is deep in meditation
bottom of page