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新国立競技場について:「女性の時代」のモニュメント

  • 執筆者の写真: krmyhi
    krmyhi
  • 2014年9月1日
  • 読了時間: 5分

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 新国立競技場のデザインは、ザハ・ハディドというイラク出身の女性建築家が考案したものが採択されました。

 ぼくは、新聞でデザイン案を見たとき、ちょっとあの明治神宮外苑という土地の雰囲気には合わないんじゃないかな、と思いました。(その新聞記事がそのような論調で書かれていたことも大きく影響しています。)現在の国立競技場はこんな感じです。

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 上から見てしまえば、別に今の国立競技場もそこまで明治の森にマッチしているとも言いがたいですね。実際に地上から見ればザハ案よりは空間に馴染んでいるようですが。(写真でしか見たことがないのでわかりませんが)

 国立競技場の立地する明治神宮付近の空間について、中沢新一が面白いことを言っていたので紹介します。

 彼は、「(ザハ案に対する)反対運動やっている人たちの考え方とはちょっと違うんです。景観を守れというんじゃない。空間にもエチック、倫理性があるじゃないかと思うわけ。(同p122)」と言って、新国立競技場の問題を「空間倫理」という視点から切り込んでいます。

あの森は「人口的に作られた原生林」なのです。あれをつくった技師たちはしっかりした哲学を持っていました。これから東京は殺風景な空間になっていく。・・・そんな都市の中に原生林を作ろうとしたわけね。

 ・・・なんで神宮にするかっていうと、資本主義原理が入ってこないアジールをつくろうとしたからです。明治天皇の御霊と言っておけば、入って来れないじゃないですか。皇室が資本主義が入って来れない一番のバリアであることを彼らはよく知っていた。そこで、内苑を原生林としてつくったわけです。モデルはどうも仁徳天皇陵古墳みたいですね。古墳とういのはもともと人口の場所だけど、今や森になっている。それがモデルなのです。内苑に接続して今度は外苑をつくった。外苑というのは内苑にあった力が光の中に現象する「あらわれ」の空間で、神社の構造にはどうしても必要なものです。

 このような視点で新国立競技場を語っている人はあまりいませんね。反対意見のだいたいは景観・美的感覚での意見や、経済性についての意見です。(今のザハ案では大きすぎるしお金がかかりすぎる)

 ぼくは、今回中沢のように、新国立競技場の物語性から考えてみたいと思います。(「空間の倫理性」という言葉はなんとなくしっくり来ないので、この記事では「物語性」に言い換えます。倫理性と言うと、なんだか美観の問題ともとられそうな気がするので。)

 それについて語るために、まずザハ・ハディドさんについて述べたいと思います。 彼女についてぼくが知っていたのは、脱構築主義の建築家で、建築技術が追いつかないようなデザインを提案するため、「アンビルド」とも呼ばれていることです。

 彼女の話で有名なのが、カタールのアル・ワクラスタジアムをデザインしたことについてものです。さて、何が話題となったのでしょう。下の写真がそのスタジアムのデザインです。ちなみに、2022年のFIFAワールドカップで使用する予定となっています。

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 うむ、確かに似ている。

 このスタジアムのデザインは、女性器に似ているということで世界中の注目の的となったのです。ある英雑誌には「Vagina Stadium」と報道されたとか。。。とてもハイセンスですね。

 さて、このアル・ワクラスタジアムを一枚目の新国立競技場のデザインと比べてみてください。・・・似ていませんか?ぼくは似ていると思います。ちょっとデフォルメして生々しさを低くさせましたが、新国立競技場もアル・ワクラスタジアムと同じテーマで造られているように思います。

 おお!ぼくはここで気がつくわけです。中沢の論と併せて考えるみると、天皇陵古墳という「父権性の象徴」から、「女性の象徴」へとデザインが変わる訳です。

 これはすごい。もし安藤忠雄がそこまで考えているのなら、これは父権性の解体を表したものであるし、「女系天皇制」論に言及するものであるともとれます。

 明治神宮という天皇制(父権性)の空間である明治神宮外苑に、異質なものを入れる。それ自体は明治時代にも行なわれていた試みです。(例えば外苑に隣接して、空間の物語性を無視した迎賓館が立っています。)

 しかし、(女性の象徴という)これほど過激な異質物を含ませるのは、今までなかったのではないでしょうか。

 中沢は「空間の倫理性」という視点から新国立競技場のデザインに反対していましたが、ぼくは同じ「空間の倫理性」という視点から考えると、この案に賛成なようです。それどころか、もっと「女性の象徴」を生々しく表現してもいいと思う。

 直島の地中美術館に行って、安藤忠雄とは周囲の空間との調和を重んじる建築家であることが分かりました。そんな彼が、「周囲の美観を壊す」と批判されるザハ・ハディド案を採択したのは何故なのか。彼は新国立競技場にどんな意味合いを持たせたかったのか。とても気になっていました。

 安藤がぼくの推測どおりのことを考えてザハ案を採択したのであれば、かなり壮大な社会実験となります。そして彼は、明治神宮周辺の空間の物語性についてかなり高い水準の理解があり、現代の思想をかなり理解した建築家だということになります。もしそこまで考えているのであればですが、、、。

 ぼくの意見としては、ザハのデザイン自体はかっこいいと思いますが、やはりオリンピック後の活用という面を考えると、もっとお金をかけないもので良いと思います。現在の国立競技場に手を加えるという形でも良いと思います。

 もしくは、中沢の言う空間の倫理性という観点から言うと、アル・ワクラスタジアム以上に「似た」、もう中継でカメラが直接は映せないくらい「似て」しまっているデザインなら、認めましょう!笑

 また、(これは反対派からよく言われる意見ですが)以下の加藤典洋のような考え方も好きです。

(ザハ案反対意見提出に)賛同します。もう大きくならなくてもいいと思います。新しくなくともいいと思います。それが一番新しい私たちのメッセージになるのだと思います。 ◎加藤典洋 文芸評論家

(「神宮外苑と国立競技場を未来へ手渡す会」ウェブページhttp://2020-tokyo.sakura.ne.jp/pg112.htmlより)

 このような持続可能でエコロジカルな考え方は、これからさらに広がっていくことになると思います。土木・建築業界では特に。

 ま、そもそもぼくは東京オリンピック反対なので、開催地に選ばれなければ良かったんですけどね。。

 
 
 

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