旅行記「豊島・直島」①:I ♡湯ー大衆浴場という”教会”ー
- krmyhi
- 2014年8月24日
- 読了時間: 3分

こんにちは。瀬戸内海一人旅をしてきました。無計画が過ぎたため、ちょっともったいない思いもしましたが、のんびりした良い旅行になりました。
一つ目の記事は、直島の観光の目玉のひとつ、「I ♡湯」という銭湯で頭に浮かんだことについて書きます。
この銭湯は、大竹伸朗というアーティストがデザインしたもので、タイルのモザイク画やステンドグラス、観葉植物など本当に雑多なものをごちゃごちゃと組み合わせてあります。ところどころにもともとの和風建築の香りを残しつつ、こんな異様な雰囲気に作り上げる大竹のセンスには脱帽です。
浴室の中には、一番奥の壁のタイルに青一色でタコの絵が描かれています。顔料はなんていうのか、白磁器に使用されるような淡い青色のヤツです。また、女湯と男湯を隔てる壁の上には、本物の小象くらいの象の彫刻が置かれています。そして、湯船の底には、春画やアメリカのグラビア雑誌などを使用したコラージュ作品がはめ込まれています。浴室の中はほぼ白一色で統一されているので、こういう作品群が際立っています。(ほかにも蛇口のボタン部分や鏡なども凝ったつくりになっています。)
湯船に浸かって呆けていると、音楽が鳴っていることに気がつきました。エフェクターをかけたギターのような音で、「ポワンポワンポワン」という感じのやつです。そのゆるやかな曲調は、なんとなく宗教音楽を彷彿とさせます。
そして、思ったのです。「日本人にとって、銭湯とは教会に代わる場所であったのではないか」
よく考えると、教会と銭湯はよく似ています。
普通、教会に入ると、まず身を清めます。水や神器を用いたり、ただ言葉を唱えるだけだったりと宗派によって様々だと思いますが、一番始めに日常で溜まったケガレを落とすことから始めます。そうしてから、建物の一番奥に鎮座するマリア像やキリスト像にお祈りをしたり、歌を唱ったりする。
銭湯でも、同じです。いきなり湯船に浸かるのではなく、まずしっかりと体の汚れを落とす。そうしてから、富士山の描かれた油絵を見ながら湯に浸かる。
教会内も浴室内もケガレを落とすという点では全く同じはたらきをしており、さらに信仰の対象であるマリア像にケガレを近づけることや、湯船の中に汚れが入り込むことを徹底的に阻止する点でも同じです。
なぜ、銭湯の油絵の定番が富士山であるのかも、これで説明がつきますね。「銭湯」という宗教施設の中の、一番奥にあるべきものは、やはり民衆の信仰の対象となっているものでないといけなかったのです!だからI ♡湯には、象の彫刻を置いたのですね。大きなもの、大きな動物は人々の信仰の対象になりうるので。いくら雑多な感じが売りのI ♡湯でも、人々が湯船の中から仰ぐものは、大きくて単純でシンボリックなものでないとダメなんです。
また、外観についても、教会というものは、街の中でも目立つように巨大なつくりをしていたり、屋根の上に十字架が立っていたりします。同じように、風呂屋も巨大な煙突によって、誰の目からもそれが「大衆浴場」であることがわかるようになっています。I ♡湯もとても目立つ外観となっています。(写真参照)
また、大衆浴場というものは、乱立して客の奪い合いがおこらないように、昔は法立で守られていました。そのため、その地域の人々は、みんな同じ銭湯に行くことになります。
その界隈の住人が、みんな同じ場所に行くという点でも、教会と銭湯は似通っていますね。
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