ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』:②反ユダヤ主義
- krmyhi
- 2014年8月10日
- 読了時間: 2分
『ツァラトゥストラ』の中には、なかなか受け入れがたいお言葉も多々ありました。多分言葉をそのまま受け取るのが間違いなのだとは思いますが、事実ニーチェ哲学はナチス・ドイツに良いように解釈され、大量虐殺に学問的補強の役割をしてしまいました。もちろん、そのようにテクスト解釈をしたナチス・ドイツが悪いことは言うまでもありませんが、一方で凡人にはそのように受け取られてしまう面があったことも否定できません。
『哲学大図鑑』には、以下ような解説があります。
・・・だが、1900年の死から30年ほどたって、ヒトラーがニーチェの著作を読んだ結果、超人というその思想はナチズムの決まり文句のひとつと化した。超人にかんするニーチェの思想、そしてヨーロッパ中を牛耳っていたユダヤ-キリスト教道徳を根絶せよというニーチェの挑発が、ヒトラーにとっては彼自身の正当性を保証してくれるものと思えたのだろう。
以下は、ナチズムがその正当性の担保に使用したのではないかとぼくが考える部分です。
平和を愛するなら、新しい戦いへの手段として愛さなければならない。長期の平和よりむしろ短気の平和を愛さなければならない。わたしがあなたがたにすすめるのは、勤労ではない。戦いだ。平和ではない。勝利だ。あなたがたの勤労は戦いであれ。あなたがたの平和は勝利であれ!
ひとは弓矢を所持してのみ沈黙して静かに坐っていられる。さもなければ饒舌に堕し、いがみあう。あなたがたの平和は勝利の平和であれ!
あなたがたは言う。よい目的は戦争をさえ神聖にすると。わたしはあなたがたに言う。よい戦争はあらゆる目的を神聖にする、と。(p76)
反抗ーそれは奴隷の示す高貴である。あなたがたの示す高貴は服従ということだ!あなたがたが命令するのさえ、服従の遂行でなければならない!
良き戦士の耳には、「汝なすべし」の方が、「われ欲す」より快くひびく。あなたがたは、あなたがたに好ましい一切のことを、まず命令として受け取らなければならない!(p77)
それでは。ごきげんよう。
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