ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』:①旧来の価値の転倒
- krmyhi
- 2014年8月6日
- 読了時間: 3分
読みましたが、難解すぎてよく分かりませんでした。確かに素晴らしいことを言っている感じは受けるのですが、「結局何が言いたいのさ?」って感じです。
今回は感想程度の記事となってしまいますが(毎回か笑)、ご勘弁を。ぼくにはハイテクスト過ぎました。
ニーチェはいろいろな人を批判して、「こいつはこうだからダメだ、あいつはああだからダメだ」ということは言うのですが、素晴らしい人(ニーチェの言う「超人」)になるためにはどうすれば良いのかはハッキリとは書かれていないので、ぼくみたいな平凡な読解力の持ち主では、全く歯が立ちません。「なんかずるいや」っていうのが本当の気持ちです。
ニーチェについて、内田樹は次のように述べています。
ご覧の通り、ニーチェは「超人」とは「何であるか」ではなく、「何でないか」しか書いていません。
どうやらそれは具体的な存在者ではなく、「人間の超克」という運動生そのもののことのようです。「超人」とは「人間を超える何もの」かであるというよりは、畜群的存在者=「奴隷」であることを苦痛に感じ、恥じ入る感受性、その状態から抜け出ようとする意志のことのように思われます。
(『寝ながら学べる構造主義』p55)
つまり、ニーチェは「超人とは何か」を説明するために、「人間とは何か」という問いに置き換えて、我々に迫っているらしいのです。
結局、「超人」がどんな存在であるのかはわかりませんでしたが、「超人」の絶対条件の一つは、それまでの人間社会の常識を疑うことのようです。『哲学大図鑑』には、彼の数ある業績に「旧来の価値の転倒」という項目を加えています。
・・・ツァラトゥストラが「神は死んだ」と言うとき、ツァラトゥストラは単純に宗教を攻撃しているわけではなく、ずっと大胆な行為におよんでいる。ここで「神」とは、これまで哲学者たちが語り、宗教家が祈ってきた対象としての神ばかりでなく、これまで私たちがいだいてきたより高次の価値の総体を意味する。
(中略)
ニーチェ哲学の中心的な企てのひとつに、「あらゆる価値の再評価」つまり倫理だとか人生の意味や目的だとかを考えるさいに、私たちの習慣となってきたやり方をすべて問題視しようという試みがある。
(ウィル・バッキンガムほか著、小須田健訳『哲学大図鑑』p218)
ぼくが気に入って書き出した文章の中から、「旧来の価値の転倒」をうたっているのだと思われる部分を拾いだしてみます。(氷上英廣訳『ツァラトゥストラはこう言った』より)
・劇務やスピードや新奇なものや、異常なものを好むあなたがた全部ーーあなたがたは自分自身の始末に困っているのだ。あなたがたの勤勉は逃避であり、自分自身を忘れようとする意志なのだ。(p74)
「勤勉は逃避」というのが面白いですね。自分の常識を疑うのが怖いため、自ら日々に忙殺されている人々への批判でしょうか。
・恒常不変の善と悪、そんなものは存在しない!善と悪は自分自身で自分自身をくりかえし超克しなければならない。(p199)
ここでニーチェは「超克」という言葉を使っています。人間を超克した存在・『超人』になるためには、自分の中で善と悪のアップデートを絶えず行なうことが必要だということでしょうか。
第2部に続きます。
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