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橋爪紳也『瀬戸内海モダニズム周遊』:観光案内文学の表現力

  • 執筆者の写真: krmyhi
    krmyhi
  • 2014年8月2日
  • 読了時間: 4分

 夏休みに瀬戸内海旅行を予定しているので、その予習のために買ってみました。内容は、「瀬戸内海」がいかにして観光資源となったのかを、当時の資料をふんだんに用いて説明しています。

 様々な資料が用いられますが、当時のガイドブックやパンフレットが多いです。特にそれらの地図の部分。瀬戸内海がいかにして描かれているかで、旅行会社の意図や当時の人々の意識を理解することができて面白いです。

 そして、写真がない頃のガイドブックの素晴らしさに気付かせてくれるないようでした。昔のガイドブックは、写真がない分、絵や文字で地元の良さをアピールしなければなりません。その文章の、文学的で読者の想像力を掻き立てることと言ったら。

 昔のガイドブックの表現に心打たれたので、ちょっと紹介してみます。

「海風軽衣を翻す看板上、万料の涼を浴びつつ、椅子によりかかり、かくのごとき麗しい、自然の妙景に陶酔しつつ、旅行せらる快は、我社の善美を極めたる遊覧船を除いて、他にあり能はぬところでありませう。」p96

 文章自体はカタいものですが、軽やかで涼しい風が吹いてきそうな文章ですね。

 現代のガイドブックになおしたら、

 海風に煽られて帽子を抑える女子の写真に「〇〇丸の極上遊覧♪」というキャッチコピーでしょうか。

続きまして、、、

(鯛網の様子について)「乱跳又乱跳金鱗銀鱗日に閃き海上俄に紅色を呈する光景は・・・壮絶・・・美絶・・・覚えず快哉を叫び拍手喝采を禁じ得られませぬ偉観であります」p138

 これは、現代版に訳すと、巨大な網に鯛や諸々のお魚がかかっているところを大写しにした写真に、「ピチピチ☆キラキラ 大迫力の鯛網!」ってな具合でしょうか。

最後にもうひとつ、

「実際讃岐の風光は規模の広大にして精緻なる点で到底他地方の追従を許さず、苟くも景勝の地を其処に求めむとすれば、殆ど、無尽蔵と云うの外ありません。」p165

 これは現代なら、屋島あたりから小さな島々をパノラマ撮影して表現するでしょうか。

 瀬戸内海の歴史について学ぼうと思って読んだ本ですが、一番身に染みたことは、写真の出現によってさまざまな日本語の美しい表現がなくなってしまったことですね。上に挙げたたった3例でも、初めて耳にする言葉がたくさんありました。どれも重厚でありながら、想像力を掻き立てるとても文学的な表現でした。

 このような「観光案内文学」(ぼくが勝手に命名)がこのままなくなってしまうのはあまりに惜しいと思いました。どこかで出してくれないかなあ。文字と少しばかりのスケッチだけで構成されたガイドブック。高橋歩が作るようなやつとは真反対のやつ。(高橋歩も好きだけれど)明らかに売れなそうですけれどね。

 あとやっぱり、こういう文学的表現は、横書きにすると大分印象が違っちゃいますね。やっぱり縦書きでなくっちゃ。できることなら明朝体でね。

*(付け足し 2014.8.17)**************

(別府温泉「海地獄」について)「・・・・池をめぐりて梅桜楓樹を配し、道は丘岡に従って行き、指呼の風色は真に天然の楽園であります、地獄めぐりを称する浴客は必ず海地獄の奇勝を第一に推します」p352

(女性車掌による別府案内)

「四季の気候は快き、心つくしの九州に、山と海との眺め佳く、出湯溢るる此の町は、戸数一万、人工の、凡そ五万を数えられ、温泉都市の名も響き、東、西より南より、北より来る内外の、客は一歳二百万、その一日平均は、五千余人に当たります」

(北浜海岸について)「この一帯は我が国の、新八景に数えられ、西に鶴見の峰を負い、東に瀬戸の内海を、抱く眺めはなごやかに、湯の香ただようパラダイス、その海浜の名所とて、砂湯に天下一品の、名ある別府の北浜は、ここのあたりでございます」

「ここの天恵豊かなる、温泉地帯の中央に、左の空を見あぐれば、火を吐きやめし鶴見嶽、首(こうべ)を右に廻らせて、遥か彼方に見おろせば、霞たなびく豊後灘、この一帯をいろどれる、出湯の原と山と海、百景万勝たてよこに、錦織なす其の綾は、実にパノラマでございます」

 
 
 

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