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『トラック野郎⑤度胸一番星』:それぞれの望郷

  • 執筆者の写真: krmyhi
    krmyhi
  • 2014年7月12日
  • 読了時間: 6分

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 トラック野郎シリーズを観ました。ただの昭和の馬鹿映画だと侮っていたら、

なんと奥深いことか!目から鱗が落ちた様な気分です。

 カーアクションあり、ラブコメあり、喧嘩あり、下ネタあり。そしてちょっぴり社会的な問題が隠れていたりします。むむむ、昔の馬鹿映画は侮れない。

 シリーズ5作目の今回は、新潟・佐渡・金沢を舞台に熱きトラック野郎達のドラマが繰り広げられる訳です。

 主人公の桃次朗は長距離トラックの運転手で、日本各地で仕事をします。彼らの仕事形態がよくわかりませんでしたが、推測するところに寄ると、彼らはフリーの運送屋で、行く先々で単発(?)の仕事を獲得する、もしそれで損害がでたら全て自分が負債をかぶる、という感じのようです。

 ストーリーの構成としては、『男はつらいよ』にカーアクションを足して、少し下品にした感じです。内容はカーアクションを中心としたドタバタ劇でしたが、なかなか文学的・哲学的な台詞が度々登場して、びっくりしました。いや、本当に侮れない。

 さて、この映画で故郷とは何か、というものを考えさせられてしまいました。まず、ヒロインが桃次朗に対して次のように言うシーンがあります。

「ふるさとが遠きにありて、思うもの・・・。桃次朗さん、ふるさとのない人は、自分で見つけることじゃないかしら。土地でなくても何でもいい。その人が一番心の安らぎをおぼえる場所、それがその人のふるさとだと思うの。」

このシーンでは、ただヒロインの内面的な美しさが強調され、桃次朗の恋心が深まることを表すためだけのシーンかと思っていました。まさか、こんな何気ない発言が、あとで意味を持ってくるとは。

 新潟に到着した桃次朗達は、今回のライバル役・千葉真一率いる「ジョーズ団」に喧嘩をふっかけられます。「ジョーズ団」はその粗暴な態度により、地元のトラック運転手からは鼻つまみ者にされています。「ジョーズ団」がへそ曲がりな態度を周囲に対してとってしまうのは、ある理由があるのですが、それが今回のテーマ「故郷」と関係しているのです。

 ジョーズには4人の子分がいて、彼らの台詞に、まずぼくはぐっと来ました。ちょっとそのワンシーンを紹介します。

ジョーズ「(桃次朗と新潟のトラック運転手に対して)・・・お前等の話はみんな耳    障りだ。二三人集まりゃすぐに新潟音頭に佐渡おけさ。おクニ自慢に花が咲    くときやがる。反吐が出るんだよ。おい、お前のクニはどこだっけな」

子分①「俺は筑豊、そんなもんヤマと一緒になくなっちまったよ」

子分②「俺は沖縄だ。飛行場の冷てえコンクリートの下で眠ってるよ」

子分③「四国の俺の村は、ダムの底だい」

子分④「俺は岩手県。日本のチベットだってよ。誰がそんな風にしたんだよ」

ジョーズ「聞いたかい。一番星だか煮干しだか知らねえけどよお、よってたかって     ピーチクパーチクさえずってるてめえ達が、天下御免のトラック野郎だと?    ふははははっ。笑わせんない!てめえ等みんなメダカ野郎じゃねえか。」

 つまり、新潟で鼻つまみ者になっていた「ジョーズ団」はみな、故郷を失って出稼ぎに来ているトラック野郎達なんですね。自分たちの故郷はないもんだから、故郷でトラック稼業を営んでいる人々に対して嫉妬の気持ちがある訳です。

 そんなジョーズに対して、桃次朗はこのように返します。

「・・・お前はクニが欲しいんだよ。欲しけりゃ自分で勝手にどこへでもつくりゃいいじゃねえかい。その気になりゃ、石ころだってクニになるんだよ。女々しく焼きもち焼いてるてめえ等こそ、メダカ野郎だい。」

 その後、桃次朗とジョーズは激しい殴り合いとなり、桃次朗が勝利します。しかし、その喧嘩によってより強調されるのは、故郷を失い、どこにも居場所がなくなってしまったジョーズの悲しみなのです。そして、ジョーズと同じく故郷を離れて仕事を行なっている桃次朗は、他の地元ドライバーとは違ってジョーズに対して特別な感情を持ち始めるわけです。

 そして、一番ぼくが心揺さぶられたシーン。

 まず、「原発反対」と書かれた立て札とプレハブが画面に映され、ジョーズは独り故郷である佐渡に戻ってくるところから、そのシーンは始まります。

ジョーズ「(トラックから降りてきて)寄るんじゃねえよ。死に損ないがまだ生きてやがったのか。俺はなあ、はした金でこの村を売りやがったお前達の顔なんか見に来たんじゃねえんだ。」

村民「でもなあ、それは村会で決めたことだぞ。

ジョーズ「そのとおりだよ。だから俺はこの村を出て行ったんだ。それについて今さらとやかく言うつもりはねえよ。ただなあ、ここは俺の生まれたところだ。所詮潰されるにしても人手にはかけねえ。俺がこの手で幕を引きにきたんだ。

原発職員「なんだね君は。作業を妨害する気かい?どきたまえ」

ジョーズ「どかしてみろ。どかしてみろ!」

 ジョーズは歯を食いしばり、涙を流しながら、自分のトラックで原発反対派のプレハブを次々にぶっ壊していきます。

 何だコレは。こんな深い「ふるさと論」はなかなかないぞ。

 ジョーズは、村会での決定事項を尊重するという点で、非常に民主主義に則った人物であると言えます。だから、お金のために土地を売ってしまうのも一方では仕方ないと考える。しかし、故郷を愛する者として、やっぱり納得がいかない訳です。お金で自分の育った土地、思い出を他人に売り渡すという行為は。だから彼は行き場のないフラストレーションを自分の故郷の破壊(反原発派のプレハブの破壊)によって解放する訳です。

 なんか、言葉で書いてしまうと単純な構造になってしまいますが、彼の心の葛藤の奥深さにぼくはぐっと来てしまったわけです。

 こんな、一見ただの馬鹿映画に、これだけ強い社会的なメッセージが隠れているってスゴくないですか?まず、ジョーズの故郷への強い愛着が観客へのある種の問題提起となっています。そして、その答えの一つとして用意されているのが、初めの方で紹介したヒロインの言葉です。故郷は土地でなくてもいい、という言葉です。これは、一つ目の問題へのひとつの回答になっているとともに、第二の問題提起となっているわけです。本当にそんな綺麗ゴトで、私達は故郷を手放してしまっていいのか、という問題ですね。

 この映画はBS・TBSで放送されていたもので、シリーズを順番に放送するのではなく、この5作目のみが単発で放送されていました。1977年の映画を今放送するということには、何らかの意図があるのでしょうね。

 (付け足し)

 この映画はちょうど『男はつらいよ』と同じ時代に放送されていて、どちらが客を多く取るかで、「トラ・トラ対決」なんて言われていたらしいです。寅さんの方も日本各地を舞台にドタバタを繰り広げるという点は同じかもしれませんが、必ず毎回浅草の実家に帰ってきますね。一方で一番星の方は(今作だけかもしれませんが)故郷というものが出てこなかった。

 どちらのシリーズもラブコメディの裏に「望郷」というテーマが隠されていて、それが当時の高度経済成長期の日本人の心を惹きつけたのかもしれません。そのころは東京に多くの人間が出稼ぎに出て、故郷から遠くはなれて東京で暮らすひとびとがたくさんいましたから。

 
 
 

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