『THE FUTURE TIMES』 Gallery&Live2014:死者との関係性
- krmyhi
- 2014年6月12日
- 読了時間: 4分
アジカンのヴォーカル・ゴッチが編集長を務める新聞『THE FUTURE TIMES』のイベントがタワーレコード渋谷店にて行なわれた。ライブメインかと思いきや、トークメインのイベントだったので、期待はずれの人もいたかもしれないが、ぼくは大満足の内容でした。
トークパネリストは、フォトジャーナリストの渋谷敦志、佐藤慧、安田菜津紀それに木村紀夫さん。木村紀夫さんはフォトジャーナリストではありません。被災した福島県双葉郡大熊町で唯一の行方不明者・木村汐凪(ゆうな)ちゃんの父親です。彼は、震災から三年が経った今でも、自分の娘の捜索活動をボランティアの方々と共に行なっています。
今回、一番考えさせられたのは、佐藤さんの木村さんに対する質問でした。実は、佐藤さんも震災で母親を亡くしています。彼はフォトジャーナリストとして長年海外で暮らしていましたが、自分の両親が暮らす地を津波が襲い、急いで日本に帰ってきました。母親の安否が分からないまま時は流れ、三ヶ月経過を目前にあきらめかけた時、ついに遺体安置所で母親の遺体と対面することができました。そのような体験をふまえた上で、木村さんにある質問をしました。
「母親の遺体を見つけられたことで、自分の中で一つの区切りがついた。それで全てが終わったなんてことではないが、『一息つく』ことができた。木村さんは、汐凪ちゃんの捜索活動を震災以来続けているが、一体なぜそんなに辛い活動をずっと続けてくることができたのか。」
というような内容だったと記憶しています。
それに対し、木村さんはこう答えた。
「汐凪を探している時間は汐凪とつながっている時間でもある。自分があきらめずに探している間は、汐凪と対話をしている時間でもあるため、捜索活動を止めたいとは思わない。」
という答えだった。
かたや大事な人の遺体を発見することができた者と、かたや未だに遺体すら発見できていない者。どちらの言葉にも、死者と対話し続けている人だけが持つ言葉の重みがありました。死んでしまった人を忘れてしまうことこそが、本当の意味で死者を殺すことになると思います。彼らには、決して死者を忘れない、もう二度と死なせない、という強い信念がありました。
死者との関係性を保ちながら生きていくこと。これは自分の生の意味を問いながら生きていくことの裏返しのような気がします。先祖が作りあげてきた死者と交わるためのシステムをぼくたちはどんどんと捨てていっています。そのシステムを例えば「お盆」と呼んだり、「墓石」と呼んだりしています。お盆にお墓参りに行く風習などは、ぼくたちが死者の存在を忘れないために先祖が作ってくれた仕組みです。お盆の時期は地域によってことなりますが、この墓参りの風習は津々浦々で見られるものです。ほぼ日本全国のご先祖様たちが死者との関係性を重視していた。よく考えてみるとすごいことですね。この仕組みをきちんと次の世代に残していくことができるのか、考えさせられてしまいました。「風習」なんてものは、法律じゃないのでぼくたちが気を抜けば簡単に風化してしまうでしょう。
また、このイベントでは、フォトジャーナリスト三名が被災地で撮った写真を展示していました。トークでゴッチが言っていましたが、悲しみの真ん中に佇んでいる人々にカメラを向けることはとても残酷なことだと思います。
もしぼくが撮られる側だったら耐えられないかもしれない。
しかし、そんなある意味残酷なフォトジャーナリスト達は、もしかしたら撮られている人達以上に辛い気持ちでファインダーを覗いているのかもしれない、と実感させられるような写真展でした。大きな悲しみを前に、撮る人と撮られる人、両方が勇気を出して歩み寄らなければ一枚の写真は出来上がりません。「一歩を踏み出す勇気があるか」。それは被災者に、被災者のために何かしようと考えている人に、そしてあの日を忘れつつある人達に向けられた、彼ら(被災者もジャーナリストも)のメッセージの様な気がしました。
写真展の会場で、木村さんに話しかけることができました。彼はこの震災前と何も変わらないこの国の政治に対して、そしてあまりにも無力な自分自身に対して静かな怒りを抱いていました。そして、経済優先で突き進むこの国の未来を憂慮していました。
今、木村さんは長野県の白馬で「深山の雪」という宿泊施設を営んでいます。できるだけ電気やハイテクノロジーを使わない暮らしを様々な人に体験してもらおうという趣旨の宿泊施設です。
近いうちに、もう一度木村さんの話を聞きたいなと思いました。
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