深作欣二『蒲田行進曲』:映画を語るための映画
- krmyhi
- 2014年6月5日
- 読了時間: 2分
深作さんの映画は『バトルロイヤル』しか見たことなかったです。『バトルロワイヤル』はストーリーも撮り方もあまり好きではなかったので、『蒲田行進曲』を見て深作さんの評価がガラリと変わりました。 この物語で印象に残ったのは、この物語が「物語の物語」というメタ構造になっている点と、日本人の自己犠牲的精神性について。 まず、「物語の物語」となっているのは、『バトルロワイヤル』でも同じ構造になっていたが、『バトルロワイヤル』が2重底だったのに対し、今回は3重底という2回ひねりがとても面白かったです。主題に「映画界」という「作り物の世界」を持ってきたことで、この3重底の構造にすることができた。(実は『バトルロワイヤル』も3重底。)好印象だったのは、「物語の物語」であることの伏線がきちんと張ってあること。初めのナレーション、劇画じみた臭い芝居などは、完璧に最後の落ちへとつながる計算の上でなされている。ううむ、やられた。 次に、日本人の自己犠牲的精神性とこの物語の裏の主題について。(表の主題は「物語の物語」で良いと思います。)これは、五木寛之が「天皇制の影絵となっている」と指摘したそうですが、さすが五木寛之。わたしもこの銀ちゃんとヤスの関係性がまさしく天皇制の比喩だと思いました。これと決めた人のためなら、自分の人生・命までも差し出すヤスの心情は、「やりすぎでしょ」と思う反面、なんとなく理解できました、私は。良い悪いは別にして、この「誰かのために自分を犠牲にする」という精神が日本人は結構理解できるのではないかと思います。そしてそれが天皇制を支えている。そして、この二人の関係性によって、いっそう引き立つ小夏の存在感。女性、あるいは母親としての悲哀や曲げることのできない一分が彼女にはあります。母親にとっては男の見栄や成功なんかよりも我が子が一番大切です。日本社会の縮図をこの3人に見た気がします。
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