松本大洋『ピンポン』のヒーローと現代アイドル論
- krmyhi
- 2014年5月31日
- 読了時間: 4分
漫画の中のマイベスト3には入るであろう、松本大洋『ピンポン』のヒーロー論について、短いですが書かせていただきたいと思います。
松本大洋の作品には、必ず「ヒーロー」が出てきます。こいつは大概主人公であることが多く、圧倒的なパワーを持ち、周りの人に良くも悪くも多大な影響を与えます。そして、このヒーローには必ず相棒が存在し、こいつはヒーローによって救済される者です。
『ピンポン』の星野と月本。『鉄コン筋クリート』のシロとクロ。『花男』の花男と茂雄。『GOGOモンスター』のユキとマコト。すべて同じ構造になっていることが分かります。そこには周りに様々な影響を及ぼす主人公(救済者)とその影響をモロに受ける相棒(救済されるもの)がはっきりと別れて存在しています。
『ピンポン』次の台詞など、まさにそれを端的に表していると言えるでしょう。
「スマイルが呼んでんよ。アイツはもう、ずっと長いこと俺を待ってる・・・・ずっと長いこと俺を信じてる・・・・」(星野・第五巻)
月本はずっとヒーロー・星野の復活を心待ちにしており、ずっと長いこと心の中で唱えているわけです。「ヒーロー見参!ヒーロー見参!ヒーロー見参!」と。直接「ヒーロー」という単語を使用していることからも、『ピンポン』は松本大洋の「ヒーロー観」をモロに前面に出している作品なのでしょう。
それでは、松本大洋の「ヒーロー観」とはいかなるものでしょうか。それは、「ヒーローは、それ単体で存在することはできず、救済者であるヒーローも救済される側によって救われる。」というものだと思います。この考え方は、ヒーローが「救済者」としての役割しか与えられていなかったウルトラマンや仮面ライダーの時代とは一線を画す考え方だと思います。
『ピンポン』では、星野は最強の好敵手・ドラゴンを前に、負けそうになってしまいます。そして、彼は(自分自身がヒーローであるにも関わらず)心の中でヒーローの出現を願うのです。
「ヒーロー見参!ヒーロー見参!ヒーロー見参!・・・助けておくれよ、ピンチだ、おいら。」(星野・第五巻)
そして、この呼びかけに星野の心の中で、何者かが応えてくれます。この場面、星野は自身の心と会話をしているような描写になっていますが、この応答者こそが月本でなのです。そして、星野は劇的な復活を遂げる。つまり、ヒーローのピンチを救うのは、それまで救済される側であった相棒・月本なのです。
この構図は松本の他の作品でも全く同じです。ヒーローはクライマックスにおいて必ずピンチに陥り、「救済者」としての役割のみならず、「救済される側」の役割も与えられるのです。
そして、これを読んで僕が感じたことは、現代の「アイドル」と「ファン」の関係性と構造がよく似ているなあ、ということです。
昨今のアイドルは「戦国時代」と呼ばれるように、あまりにも数が多く、その分、ファンは自分の応援したいアイドルを選ぶことができるので、アイドルとファンの間がとても近くなったように感じます。松田聖子と前田敦子のファンからのリーチは大分異なるわけです。そのため、ファンはアイドルを「支えている」という実感が持てるわけです。今までのアイドルはファンにとってみればまさしく「高嶺の花」でした。ファンは、自分の生き甲斐となっているアイドルに対して、「助けられている」という感情を抱きこそすれ、自分が支えているなどという実感はなかったのではないでしょうか。
昨今のアイドルファンを昔のそれと区別するために「サポーター」と呼んだらどうでしょうか笑。まあ、それほど、アイドルにとってもファンというものの存在が大きくなっているわけです。松本大洋のヒーロー観にあてはめて言い直すと、ファンにとってアイドルは、唯一情熱を捧げられる自分の救い主なわけですが、その一方でアイドルはファンに支えられて育っていく、ファンの応援を切実に必要としているわけです。
うむ、松本大洋と秋本康が似た様な考えを持っているとは。。。
それでは。
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