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『アナと雪の女王』とアマノウズメ

  • 執筆者の写真: krmyhi
    krmyhi
  • 2014年6月1日
  • 読了時間: 5分

 『アナと雪の女王』見に行ってきました。ミーハーですね。笑

さて、今回は以下の二つの点が僕のアンテナに引っかかりました。

 ①トリックスター・オラフ

 エルサの魔法から生まれた「動く雪だるま」のオラフ良かったですね〜笑。大爆笑でした。声優誰かなと思って調べてみたらピエール瀧。これはハマり役でしたね。

 多分、多くの人がこのキャラクターがとても印象に残ったと思います。オラフは登場人物と観客を笑わせるピエロに徹してくれていました。オラフがいたからこの物語は成り立ったとも言えるほど、重要なキャラだったことは誰でも認めるでしょう。

 物語において、オラフのような役回りをトリックスターと呼びます。トリックスターは「境界を越える」存在であり、そのため物語を動かす原動力となることが多いです。今回で言えば、オラフは「魔法」と「現実」の狭間で生き、雪だるまという「冬」の代名詞でありながら「夏」に憧れるキャラクターです。また、物語の「シリアス」さに「コミカル」な要素を足してくれる役目を果たしたわけです。様々な境界を飛び越えていますね。

 全ての物語には大なり小なりトリックスターの存在があります。そして、『アナ』の物語はその存在が特に大きかった。これは近年のディズニー映画まれに見るほどのフィーチャーのされ方ではないでしょうか。(ディズニー映画は久々に観たので最近のことは分かりません。テキトー言ってすみません笑。)昔のディズニー映画のいわゆる”プリンセスもの”は、今回くらいトリックスターが意識して描かれているように思います。それは「小人」であったり、「妖精」であったり、「魔女」であったりします。実に分かりやすいですね。

 ②下敷きは古事記・「天の岩戸隠れ」

 さて、ストーリーは日本神話の「天の岩戸隠れ」そのままでしたね。気付いた人も結構いるのではないでしょうか。「岩戸隠れ」のストーリーは、悪さばかりするスサノオに対して、怒ってヘソを曲げてしまった天照大神が天の岩戸の中に隠れてしまい、世界が闇に包まれてしまうという話です。天照大神は太陽の神様なので、世界が真っ暗になってしまうわけです。

 次に、『アナ』のストーリーを追ってみると、見事に「岩戸隠れ」の物語と一致することが分かるでしょう。

  妹・アナが姉・エルサを怒らせる。→エルサは山に隠れてしまう。→エルサの魔法によって、王国は冬になり、太陽が見えなくなる。

ちなみに、天照大神はスサノオの姉です。そこも同じですね。

 さらに話を進めます。隠れてしまった天照大神を岩戸から出すために、アマノウズメという踊り子が登場します。この神様はある意味、ピエロの役で、天照大神を岩戸から出させるために集まった八百万の神々を踊りで笑わせます。すると、外界の笑い声が気になった天照大神が岩戸から顔を出すんですね。

 さて、もうお気づきでしょうが、このアマノウズメの役割こそ、トリックスター・オラフなわけです。『アナ』でも、オラフがアナとエルサを引き合わせていました。

 神話というのは、似た構造を持つものなので、西洋にも同じような神話があるのかもしれませんが、いずれにせよ「天の岩戸隠れ」的な物語が『アナ』の下敷きになっていることは疑いようがないでしょう。(Wikipediaで調べてみたら、ギリシア神話のデルメルの神話が同じような話らしいですね。)

 ちなみに、「太陽が隠れる」というモチーフは、世界の統治者あるいは世界を覆っているシステムが機能不全を起こし、一時的なカオスの中に民衆が置かれることのメタファーとして、様々な作品に繰返し使用されています。僕が古事記・「天の岩戸隠れ」の物語を気に入っている理由は、その機能不全が「笑い」によって解消されるというところです。「ユーモアは世界を救う」と言っているわけですね。素晴らしい!

 それでは、長文失礼しました。

(追記:2014年9月2日)

 高橋源一郎は、中森明夫の文章を引いて、この物語を現代の天皇制と結びつけて考察していた。さすが着眼点が鋭いです。

 「あらゆる女性の内にエルサとアナは共存している。雪の女王とは何か? 自らの能力を制御なく発揮する女のことだ。幼い頃、思いきり能力を発揮した女たちは、ある日、『そんなことは女の子らしくないからやめなさい』と禁止される。傷ついた彼女らは、自らの能力(=魔力)を封印して、凡庸な少女アナとして生きるしかない。王子様を待つことだけを強いられる」

「『中央公論』掲載拒否! 中森明夫の『アナと雪の女王』独自解釈」(ネット掲載、サンデー毎日7月6日号にも)

 その上で、中森は、幾人かの、実在する「雪の女王」を思い浮かべる。その一人が「雅子妃殿下」だ。彼女は「外務省の有能なキャリア官僚だった」が「皇太子妃となって、職業的能力は封じられ」「男子のお世継ぎを産むことばかりを期待され」「やがて心労で閉じ籠(こも)ること」になると記した上で、さらに映画のテーマ曲「ありのままで」に触れながら「皇太子妃が『ありのまま』生きられないような場所に、未来があるとは思えない」と書いた。この原稿は、結局、依頼主である「中央公論」から掲載を拒否されたのだが、その理由は定かではない。

(朝日デジタル論壇時評2014年6月26日)

掲載拒否されたことから、天皇制のタブー視はまだまだ根深いものである気がしますが、それに抗うように最近は天皇制に真っ向から切り込む書物が刊行されています。

 
 
 

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