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『重監房とは何だったのか ハンセン病隔離政策の”負の遺産”を考える』:②パターナリズム

 重監房とは、ハンセン病患者の懲罰施設でした。療養所の医者達が、 態度の悪い患者をこの懲罰施設に送り、計23名が死亡しています。 講演をしてくれた新潟大学医学部教授の宮坂道夫は重監房について以下の3つの疑問点を挙げています。

・なぜ療養所に懲罰房が必要だったか ・なぜ医師が患者を罰したのか ・なぜ裁判を受ける権利がなかったのか ・なぜ患者達は死ななくてはならなかったのか

(ちなみにこの重監房は戦前から戦後にかけて存在しているというのも一つのポイントです。戦前と戦後では憲法が違うので。例え人権が制限されていた大日本帝国憲法下では重監房が適法であっても、人権の尊重をうたう日本国憲法下で違法でないというのはおかしいのです。)

 宮坂教授はこれらの疑問点を解くヒントとして、「パターナリズム」という概念を紹介してくれました。 この「パターナリズム」は医療倫理で必ず論じられる概念で、 「医師は父親、患者は子供という関係にあるため、医師が善し悪しの判断をし、患者はそれにただ従うべきだ」 という考え方です。 現在では、この「パターナリズム」に陥らないように、医大生は大学で授業を受けるようですが、以前はこのような考え方は当然のものとして医師にも、患者にも受け入れられていました。 確かに、この考え方は一理あるので僕も頷いてしまいます。 そして、重監房を作り出した人々の考え方はまさにこの「パターナリズム」に則るものでした。 彼らの理論は「民法では、親には子供への懲戒権がある、そのため医師と患者の関係にもそれが応用できるだろう」という考え方です。医師達は、国に懲罰施設の設立を提案し、国がそれを認めたという訳です。 ここで大切なのは、当時の医師達を悪者にして、話を終わりにしないということです。 少なくとも、僕はある程度彼らがそのように考えてしまったのは理論的には整合性があると思います。 もちろん人権無視であることはいうまでもないですが。 現在の問題に置き換えて考えてみましょう。現在老人介護における虐待が大きな問題になっていますが、介護に熱心な介護士や家族のほうが寧ろ虐待をしてしまうことが多い、という話を聞いたことがあります。 自らは一生懸命尽くしているのに、それが伝わらない時に、人は暴力というものに頼ってしまうことがあります。 きっと重監房を提案した医師達も似たような状況だったのではないかと推測しています。 (もちろん、重監房の問題には人権の問題があり、現代の虐待問題とは分けて論じられる必要もありますが。)

重監房が1947年に廃止になる前、患者達の重監房に対する不満はピークに達し、重監房を廃絶するための声が上がりました。 そして、廃絶運動が始まる矢先に、なんと重監房は何者かの手によって取り壊されていました。患者達は、国あるいは医者が証拠隠滅のために施設を取り壊したのだと見ています。  そして10年ほど前から、今度は患者達が逆に重監房を復元させようとする 運動を起こしました。自分たちを苦しめていた「負の遺産」をなかったことに するのではなくて、後世に残そうと言うわけです。

宮坂教授が最後に引用した言葉がとても印象に残りました。

「アウシュヴィッツそのものよりひどい場所があるならそれは、    世界からそのことが忘れられてしまうことです。」                   by ヘンリー・アッペル

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