『重監房とは何だったのか ハンセン病隔離政策の”負の遺産”を考える』:①ハンセン病基礎知識
- krmyhi
- 2014年2月28日
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生労働省主催のハンセン病に関するシンポジウムに行ってきました。 まずは、ハンセン病についての基礎知識をば、、、 ハンセン病とは「らい菌」に感染することで発病する病気です。 日本では「癩病」(らいびょう)と呼ばれていました。 症状としては失明、知覚麻痺、神経痛などが挙げられますが、 一番特徴的なのはハンセン病にかかると、外観に症状が現れる点です。 片方の口角がさがったり、手足が硬直・変形したりするため、 ハンセン病患者はすぐに特定されてしまい、昔から差別・偏見の対象と なっていました。感染症であることが、この差別に拍車をかけました。 実際は感染力は非常に弱く、現在では感染しても治る病気です。 厚労省の作ったパンフレットによると、以下のような歴史的流れがあります。 ・中世〜近世 身体の一部が変形したりする外観の特徴などから偏見や差別の対象にされることがあった。 ・明治後期(1900年代)〜昭和前期(1940年代) 患者を強制的に収容し、療養所から一生出られなくする「ハンセン病絶滅政策」が行われ、 偏見や差別が一層助長された。 ・昭和前期(1940年代)〜平成8年(1996年) 有効な薬が開発され、治療法が確立されたが、患者の隔離政策はそのまま継続された。 ・平成8年(1996年)〜 「らい予防法」(「癩予防法」を昭和28年(1953年)に改正)が廃止され、患者隔離政策に 終止符が打たれた。 (「ハンセン病の向こう側」p2 厚生労働省) ①患者を隔離することにより、ハンセン病に対する民衆の恐怖や偏見が再生産されたこと ②治療法が確立されたにも拘らず、患者の隔離政策が継続された この上記2つが主に問題とされる点です。 ハンセン病の療養所は全国に14カ所あり、群馬県の草津にもありました。 そして、この草津の「栗生楽泉園」には全国で唯一「重監房」と呼ばれる施設があったのです。 今回のシンポジウムのテーマは 「重監房とは何だったのか ハンセン病隔離政策の”負の遺産”を考える」というものでした。
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