『あなたの肖像--工藤哲巳回顧展』:②工藤哲巳と天皇制
- krmyhi
- 2014年2月9日
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②工藤と天皇制について です。 彼の作品の中で最も心に残った作品が 「縄文の構造=天皇制の構造=現代日本の構造(天皇制の構造についてー聖なるブラックホールー)」という作品です。(写真の作品は違います。)これは文章で説明するのは難しいですが、円盤の上に逆さにしたろうとのようなものが乗っかっている作品です。全体を色とりどりのひもがぐねぐねと這うようにして模様となっています。「天皇制」をこのような構造で表しているのは、丸山真男の影響であるのは明らかです。
以下、丸山よる天皇制の考察の説明です。ちょっと記憶が曖昧ですが。 例えば、普通の組織を円で表すとすると、組織の代表を円の中心として同心円状に組合員が広がっていきます。一番下っ端は、円の一番外側。責任が重くなるほど円の中心に向かっていき、組織の代表がすべての責任を負うこととなります。
しかし、戦前の日本の国家体制はそのような一般的な組織の構造とは異なっていました。簡潔にいうと、責任を取るべき円の中心がないのです。無いというよりも、違う次元に存在しているため、直接の責任を負わないことになってしまっていたのです。 円の中心にはぽっかりと穴があいていて、そこから垂直方向に筒が伸びている。 その筒の上に天皇が存在するのです。 これは天皇が神であり、なおかつ軍事の最高司令官であった戦前日本の特徴です。 軍事の責任を取るべき最高司令官が同時に神様であったために、 次元の異なるところに置かれ、責任を免れた。
この丸山の有名な考察はとても的確に天皇制というものを表しているといわれています。 さて、工藤はこの丸山の天皇制考察をそのまま作品にしただけですが、彼の面白いところは これに 「縄文の構造」と「現代日本の構造」 というものをイコールで結びつけました。 この点が実に面白い。 基本的に歴史学では「天皇」と「縄文」というものは対立する概念のように扱われます。 これも説明すると長くなってしまうので端折りますが、戦前においては縄文時代という時代は存在しないことになっていました。それは天皇制の否定につながることだったからです。 だから縄文の構造と天皇制の構造の類似点を私は見つけられない。 また、「現代日本の構造」というのも「天皇制の構造」とイコールで結ぶのは難しい。 戦前の「天皇制の構造」は宗教的考え方が強い人々でなくては成り立たないシステムです。 天皇を神と考える時点で宗教だと言えます。さらにこんな少し考えれば非合理的だと分かる システムがまかり通ってしまうこと自体、日本人の心に宗教を信じるメンタルがあった証拠です。 それに対して、現代日本において、宗教というものは何の意味もなさないと見なされるようになってしまった。 近代合理主義の浸透により、無駄なものは省き、理屈に合わないものは削除されます。 欧米のシステムをどんどん取り入れ、「責任の所在」というものも明確にしています。 だから、「現代日本の構造」は「天皇制の構造」とは離れているように私には思えるのです。 (むしろ、戦前の日本が有していた「天皇制の構造」を打破するために、アメリカがどんどん合理主義・責任主義を植え付けていったという言い方もできます。)
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