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『あなたの肖像--工藤哲巳回顧展』:①反ヒューマニズムと身体

  • 執筆者の写真: krmyhi
    krmyhi
  • 2014年2月8日
  • 読了時間: 2分

 工藤哲巳回顧展で特に刺激的だった点は3点。それをかいつまんで解説してみたいと思います。 美術は専門じゃないので見当違いかもしれませんが。 ①反ヒューマニズムと身体 工藤哲巳の大きなテーマとして反ヒューマニズム(人間中心主義)があります。そしてそのテーマを表現するためのモチーフとして人間の「身体」がたくさん使用されています。普通、反ヒューマニズムを表現するとき、モチーフとなるのは自然です。宮崎駿映画などが良い例です。または、その裏返しとして都市や工場を描きます。搾取する人間と、搾取される自然の関係を描くのがかなり一般的な方法ではないでしょうか。  しかし、工藤は反ヒューマニズムを人間の身体を用いて表した。これが僕にとっては新鮮でした。この人間の身体を用いて反ヒューマニズムを語るという技法は一見矛盾しているように見えますが、実際はまったく矛盾していない。これはヒューマニズムを突き詰めて考えた時に出てくる、「心」と「身体」の関係をどう考えるか?という問いにつながります。  現代人の考え方では、「身体」はあくまで「心」の付属物であり、これらは 主従関係で結ばれています。だから売春を擁護するフェミニスト達は、「身体は その人の「所有物」であり、その人の精神衛生を保つためならどう扱おうとその人の 自由である」という考え方になる訳です。別にこの考え方は悪くないですが、この考え方はトレンドに過ぎないものであり、この「身体』は「心』の「所有物」という考え方だけが世の中を覆いつくすのは良くない。日本を代表する思想家・内田樹は次のように述べている。   「身体には(その身体の「所有者」でさえ侵すことの許されない)固有の尊厳が備わっており、それは換金された り、記号化されたり、道具化されたりすることによって繰り返し侵され、汚される」(内田樹ブログより)  つまり、現代人には理解されがたい感覚ですが、「身体」には「心」に搾取されない権利があるべきだ、というものです。  僕が思うに、工藤哲巳はこの「こころ」と「身体」の関係性を作品化したのではないでしょうか。普通は「自然」と「人間」の対立として表されるヒューマニズムを「身体」と「心」というレベルで表した。これにはどちらも搾取する側と搾取される側という共通点があり、搾取する側の傲慢な態度を戒めようとする意図があるように思えます。

 
 
 

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