リンチ『マルホランド・ドライブ』と八百比丘尼
- krmyhi
- 2014年1月4日
- 読了時間: 2分
久々にリンチ映画に挑戦!少しは分かるようになっているかと自分に期待して観ましたが、さぁ、・・・まるで手も足も出ない!
最後の方で小さいオジさん達が出て来ちゃったところなんてもう爆笑でした。笑いがしばらくは止まらなかった。リンチのデタラメな運転により、終盤残り30分くらいのところで完全に置き去りにされてしまったぼくがいたのでした。それまでは、ギリギリ自分の中で物語を組み立てていたのに!全部ぶっ壊された!笑
途中までのぼくなりの解釈では、手塚治虫『火の鳥』の中の「八百比丘尼」の物語に似たようなストーリーかと思いました。
手塚治虫の「八百比丘尼」の物語は、閉じられた世界の中で独りの主人公が永遠に自分を殺し続ける物語です。・・・いや、この説明は語弊があるな・・・。こんな一文で説明できる程、浅い内容ではないので、詳しくは手塚治虫『火の鳥・異形編』をご覧下さい!
まあ、物語をかなり削って、(しかも物語の本質の部分もかなり削って)表面だけを撫でれば上記のような内容です。
さて、『マルホランド・ドライブ』は青い小箱が開くのを境に、物語を前半と後半に分けることができます。その変節点で物語世界はねじれ、前半で出て来た登場人物の名前が後半では変わっていたり、前半で死んでいた者が後半では生きていたりします。
ぼくは、前半で主人公格であった記憶喪失の女とその女の家で死体となっていた女が永遠に殺し合う物語かと思って観ていました。(結局はつじつまが合いませんでしたが。)手塚治虫の「八百比丘尼」物語の殺し合いを一人ではなく、二人の人物を使って、行なわせたのかな、と。手塚治虫の「八百比丘尼」が「輪廻転生」をメインテーマに置いたのに対して、『マルホランド』では「無限の欲望」を表現したのではないかと思っています。「他者に認められたい」という欲求の暴走とその恐ろしさが物語の底に流れているのを感じました。
まあ、リンチの映画なので、観方に正しいも間違いもないのですが、つい自分の中に物語を組み立ててつじつまを合わせようとしてしまいますね。リンチ映画は、かなり観客に依存したエンターテイメントですね。これはシュルレアリスム全般にいえることでしょうが。。。
それでは、長文乱文失礼しました。
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