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若松孝二×中上健次『千年の愉楽』:「反権力」の描き方

  • 執筆者の写真: krmyhi
    krmyhi
  • 2013年4月29日
  • 読了時間: 2分

 若松孝二(監督)と中上健次(原作)のタッグなんて、ぼく垂涎の映画ですね。「若松」も「中上」も友常勉という近代思想史の先生が扱っていたネタで知ったんですけどね。

 両者とも文学が描く「反権力」を学ぶにはうってつけの作家のようです。

 若松はもともとロマンポルノ系から出てきた映画監督ですが、「反権力」というものを血なまぐさく描くことを得意としています。ぼくが見たことがあるのは、『キャタピラー』と『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』ですが、どちらも「父権性」や「国体」というものを考えさせられる内容でした。

 ※「国体」とは、戦前、戦中によく使用された、天皇を中心とした国のあり方、国民の思想のようなものです。天皇を国の最高責任者に位置づけながらも、神として崇めることで実際の責任は問えない状態にした当時の「雰囲気」のようなものです。依然として定義がきちんとできていない概念です。

 それに対して、中上健次という作家は、被差別部落を題材にして「女系社会」の世界を描いてきた作家です。若松同様、グロテスクな部分もありますが、それにプラスして土着的、神秘的な要素を含んだ作品を書きます。

 中上が高い評価を受けている理由は、「路地」と「オバ(女系社会)」を発明したところにあると考えられます。

 「路地」とは、中上自身が生まれ、育った被差別部落の世界のことであり、「オバ」はそこで力を持つ女性のことです。「千年の愉楽」で出てくるオリュウノオバは、そこの産婆であり、主人公の「中本の男達」にとっては母であり、姉であり、祖母であり、父であり、また性の対象でもあるという異質な存在でした。

 中上の描く路地の物語・女系性社会の物語は、天皇制・父権性社会へのカウンターとなっていることは言うまでもありません。(被差別部落というものは、「天皇制」が根拠となっているからです。それについては、また別の機会に。)

 ただ中上は、主人公達の生き様を描くことのみで、その背後にある思想を際立たせたという点で、非常に芸術性の高い作家なのです。

 今まで「反権力」を分かりやすく描いてきた若松孝二でしたが、最期に(この「千年の愉楽」が遺作となった)このような「反権力」が前面には出てこない、奥行きのある物語に行き着いたのは、やはり荒削りだった思想が洗練されてきたためでしょうか。

 今回のキャスティングは、人気若手俳優達が起用されていて、若松作品の影響を受けた彼らの今後が楽しみです。

 ちなみにタイトルの由来は、中上が強烈な影響を受けたガルシア・マルケスの代表作『百年の孤独』から来ているそうですよ。

 
 
 

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